その59 旅に出たら、感じたことをノートに書きとめよう!
鹿児島・宮崎の旅も本日が最後でした。
霧島高原から途中焼酎工場へ立ち寄り、その後、飫肥→鵜戸神宮→青島神社を経由して、宮崎空港へ向かうコースでした。
鹿児島は、以前来たこともあり、今回の旅行で回った場所も、なんとなく知っていたのですが、宮崎についてはガイドブックすら読んだことがなく、全くの予備知識ゼロ状態でした。
なので、旅行の案内に「飫肥」と記載があっても、読み方さへ分かりませんでした。(答えは「おび」です。)
いい加減ですね。
何も知識を持たないと、見るものすべてが新鮮で、発見も多く、感動を得やすいというメリットがある一方、逸話を知らないために名所・旧跡地を見逃してしまったり、食事を摂る店を探すのに無駄な時間を過ごしてしまったり、名物のお土産を買い損ねてしまったりというデメリットがあります。
どちらがよいかは、その時の旅行の形態(フリーなのか、ガイドつきなのか、時間の有無、誰と一緒かなど)により左右されるので、一概には言えないと思います。
ただ、どんな状況であっても、五感をフルに働かせて旅を楽しむ姿勢を持つことが、大切だと思います。
パパが今回の旅で面白いと思ったことを以下にまとめてみます。
家に着いて、本やインターネットでさらに詳しく調べて理解を深めるもの、ここに書いて忘れさってしまうものの双方が混在していると思います。
もし、君たちが大きくなって、南九州に旅をする機会に恵まれて、パパが見たもの、感じたものに触れて、何かしらの感想を持ってもらったり、また、同じ場所からパパと違ったものの感じ方をしてもらい、パパの感じたものと比較をしてもらうような機会があれば、パパとしてはとても嬉しいです。
【鹿児島・宮崎の旅でパパの心に響いた場所】
■仙厳園
敷地が広く前方に錦江湾が拡がっていることもあり、日本庭園なのだけれどもとても雄大。
歴史から知る薩摩の懐の深さのようなものを感じた。
■知覧武家屋敷
実際に人が住んでいる屋敷を見学しているにもかわらず静寂さを感じる。
庭先に無駄なものを置かず、自然にある草花の季節感を無理なく活かすシンプルさが美しい。
(この地を訪れるのは2回目でした。前回は青空の下、今回は春霞の下。
同じ場所なのに、背景色が違うと全然違う表情のように思えました。)
■薩摩今泉
静かな集落に現地ガイドが親戚の叔父さんのように思えてきて、まるで自分の田舎のじいちゃん、ばあちゃんの家の周りを散歩しているような錯覚を覚えました。
しかし、それでいて、歴史を感じさせる石垣や樹齢400年とも言われる松の木から、遠く篤姫のいた江戸時代に思いを馳せることができる不思議な場所。
あと、土産物屋が一切ない観光地というのも、気持ちがよかったです。
■霧島神宮
空気が樹木の香りに満ちていて、清々しい場所。
極彩色の社殿が、深い山をバックに際立っていました。
パパの中では、社殿の色は異なりますが、熊野神社と似ているような感じを受けました。
■霧島温泉
天気が悪くはっきりは見渡せませんでしたが、山の間から湯煙が見えて、実に趣がありました。
湯も硫黄分が溶け出した、ザ.温泉という香りの温泉でした。
■飫肥(おび)
城の正門、石垣が素晴らしい。
また、町並みも小京都らしく、古い住居を中心に新しい住居のミックス具合に無理がなく、それ故なのか、居心地のよさを感じました。
たまたま、旧い家の客間にたくさんの雛人形を飾ったいる場所があり、圧倒的な存在感がありました。
ただ雛人形がたくさん飾っている場所ではなく、この土地に昔からある、旧家や石垣と一体的に飾ってあるようにも思え、ここに見ると小さな雛人形をダイナミックに捉えることができました。
■鵜戸神宮
岩屋の中に祠が祭られており、独特の空気を感じることができた。
宮崎の人は、その昔結婚をすると「鵜戸参り」をしたそうです。
旧道では宮崎から鵜戸神宮まで、7つの峠、7つの海岸を越えてきたそうです。
伊勢参りのような明るさを備えた神社でした。
本日のパパからのメッセージは、
「旅に出たら、感じたことをノートに書きとめよう!」
です。
そして、いつの日かノートを見直してみてください。
青臭い自分がいたり、失われてしまった自分を感じ、あらためて感性を研ぎ澄ますことができると思います。
さらに、違う人(例えば、パパやママ)の感じたことと比較してみてください。
そうやって感性を鍛えましょう。そして、君たちの人生が少しでも豊かになるように。