その214 物質的なものに依存せずとも幸福な気持ちに慣れる!
何かをやろうとすると、何かが足りないことに気がつき、都度、買い物に出かけるということを繰り返しています。
風呂に入ったはいいものの、洗面器や椅子がなかったり・・
風呂掃除をしようにも、洗剤やスポンジがないし・・
洗濯機をまわしたはいいものの、ハンガーや洗濯ばさみがないことに気がつき・・
などなど・・細かいことをあげればきりがありません。
これまで、いかに人に寄り添って生活をしていたかがわかります。
自分では一人前と思っていても、家事などの日常生活のことを体が覚えていないから、必要なものを洗い出すことができません。
チェックリストを作れなどと、人に偉そうにのたまわったこともありませすが、疲れてそれどころではありません。
何しろ、部屋がとっちらかっていて、片付けないことには落ち着きません。
弟の家から貰ってきたリクライニングシートに寝そべって、ブラームスの1番でも聴きながら、ゆっくり本を読むというようなことは全くできませんでした。
調理器具や調味料などを一通りそろえたものの、結局は出来合いのおかずで済ませてしまい、まだガスコンロを使っていない状態です。
家事を真面目にやっていると1日の歩みというのが案外早いということがわかりました。
じゃあ、真面目に片付けに専念した結果、片付けが終わったかというと、そんなことはありません。
結局、1日半で一部屋残ってしまってしまいました。
まあ、本来は、引っ越す際に取捨をしながら、必要なものだけを持ち込んで、あとは収納するだけという通常の引っ越しスタイルとは、やや異なっていたので致し方ありません。
不要なものを捨てようにも、9か月ぶりに行った部屋、しかも9時から12時までに荷物を運び出すという条件では、いささか無理がありました。
洋服や雑誌など、一部は捨ててもらうようお願いはしましたが、衣装ケースに入ったものなどは、そのまま持っていくしか方法がなく、結果、近所のコンテナボックスにしばらくそのままの状態で保管するより仕方ありませんでした。
それらの荷物と約1年間暮らして徐々に増えていった実家の荷物もあり、暫定的に使用していたものは、やはり捨てなければなりません。
引っ越し業者のお兄さんが、一人暮らしの割りに、ダンボールと衣装ケースが多いと仰っていましたがそのとおりです。
当然、業者の方に細かな説明はしませんでしたが、事情があるので仕方ないです。
なので、仕方がないので、引っ越し先で、要/不要の整理です。
洋服などは、20年前の学生時代に来ていた洋服なども混ざっていたりしたので、大胆に捨てます。
まだ着れるものもありますが、大胆に捨てていきます。
結局3分の1は捨てました。
アウトドア関係の品々も捨てていきます。
特にカヌー用品はすべて捨てました。
風が渡る初夏の川もをゆったりと流れるあの質感はクオリア的(←昨日の茂木健一郎さんの講演の影響です。で、今思い出しても、幸福な気持ちになれるのですが、実質的にカヌーも持ってこられず、車もない状態では、暫くは断念するしかありません。
親子でカナディアンを漕いで四万十川をツーリングしたかったなーなどと、今更どうにもならないことを考えてしまいます。
まあ、ここはきっぱりです。
君たちと一緒かどうかは別として、人生は長いので川下りのチャンスは、まだまだあるかもしれません。
ただ、その不確定な未来のために、道具をしまっておくほど、家は広くないのです。
その他のキャンプ道具も半分くらい捨てました。
はじめて買ったテント、一緒に世界を旅したミレーのクラシカルなザックも捨てました。
そして、ほんのわずかだったけれども、君たちと共有した時間の思い出の品も、少しだけ取って置くにとどめ、思い切って捨てました。
物体など存在しなくても、パパの心の中には、君たちと過ごした幸福で満ち足りた世界が存在しているのだから。
何か嫌なことがあったら、あの幸福な時間のことを想い出そう。
決断に迷ったときには、心の中で君たちと会話をしよう。
そうです。離れて暮らしてはいても、君たちはパパの指針であり、パパもまた君たちの指針に相応しい人であるよう、弛まなく努力をしていきます。
さあ、思い出の物資はクローゼットに仕舞い、明日から少しだけ長くなった通勤時間にへこたれないよう、日常の戻って行こうと思います。
本日のパパからのメッセージは、
「物質的なものに依存せずとも幸福な気持ちに慣れる!」
です。
さあ、寝る前に洗濯物の整理と、シーツのセットなど、昼間後回しにしてしまったことが残っています。
家庭的な一人暮らしを目指して、暫くは物質と格闘です。