その215 相手との距離感を大切にしよう!

距離(ディスタンス)の価値というのは、はなはだ甚大ではないかと思います。

例えば通勤時間。

基本的に距離と時間は比例するので、家と勤務先の距離が離れていれば、それだけ時間もかかることになります。

ただ、距離が離れていても電車の乗り換えがなかったり、急行の停車駅だったりすると、それだけ時間は短縮できるし、逆に、距離は近いのだけれども駅まで渋滞する道をバスで向かいしかないとか、そもそも電車の数が少ないといった場合には、やたらに時間がかかってしまいます。

こう考えると、距離と時間の相関関係が絶対的なものではありません。


そんな中、昨今のビジネス書などでは、時間の重要性だけが語られていて、距離は見向きもされていない傾向にあります。

もちろん、時間は有限であるので、1日24時間をどう使うかというスタンスは非常に大切であることは理解できますし、意識もしているつもりではあります。

ただ、時間の大切さと同様に、距離の大切さをパパ自身を含めてもっと意識すると、思考パターンが拡がるのではないでしょうか。


なぜ、パパがこのようなことを考えたかというと、自転車でのツーリングによる距離感です。

自由に動き回れる自転車は、電車や自動車と比べると、距離と時間の相関関係がより強まります。

「ああ、自転車で30分も走ると、こんなところがあるんだ」

という発見は、普段、時間軸で生活をしていたパパに新しい価値感を付加してくれました。

時速20キロで走るとすると、理論上は半径10キロ圏内が30分で行ける場所になります。

この半径10キロの円の中には、当然、まだ見ぬものがたくさんあり、それらに触れることにより、五感に刺激を受けることでしょう。

そして、その半径が伸びれば伸びるほど、五感刺激物が増殖し、果ては無限に広がっていくのです。

距離を伸ばせばそれだけ感じるものが多くなるのです。


ところが、これは物理的な長さ、つまりメートル法その他で表されている「記号的な距離」に留まった話であり、「目に見えない距離」においては、距離が離れれば離れるほど、感じるものが少なくなってくるのです。

人の気持ちと気持ちの間を、物理的な長さと同じ「距離」と表現するのは、ひょっとすると日本語だけなのかも知れません。

とにかく、人の気持ちの間を「距離」と定義した人は、凄いと思います。

一方では離れることに価値を見出し、もう一方では近づくことに価値を見出しているからです。


あるときは離れようとし、またあるときは近づこうとする。

この変幻自由さがパパの興味をそそります。

特に測定できない距離については、今後の強く意識をしていきたテーマの一つです。

時間は誰にも均等に割り当てられており有限ですが、距離はその人の気持ち一つで、どうにでもコントロールが可能です。

他人の心に対して、もう少し距離を縮めてみたいという思いがある一方、一定の距離を保ちたいと思うときもあります。

人間関係とは距離感の芸術ではないかと思います。

もう少し近づきたいという思いがあっても、相手がそのように思っていなければ、決して縮まらないのが距離感です。

双方が距離感を縮めたいと思い、それが、何かしらの形で表面に現れたときに恋や友情が芽生えるのです。


そして、この距離感は、日々変化をします。

相手への思いやりが距離感に現れるのです。

時には近づきすぎてもよいけれど、時には我慢をして離れていなければならないときもあります。

なので、相手との距離感を強く意識してください。


本日のパパからのメッセージは、

「相手との距離感を大切にしよう!」

です。


そしてパパと君たちの距離はどうでしょう。

家族の距離感は相対的には近いものかもしれませんが、できないことをとやかく言っても仕方ありません。

近くにママが居て安心をする一方で、パパが遠くから見守っているという安心感を持ってもらえればと思います。

パパは、現実的な距離感を認めるしかなく、この距離のなかで最善を尽くすだけです。

心の距離が近づくことを願いつつ。