その368 宝物は実は自分の手のひらの中にある!

1月4日の朝日新聞の朝刊に過疎の島がアメリカ人の東洋文化研究者に見初められて再生の道を辿ろうとしているという記事が出ていた。

NPOと手を組み、世界四十数箇所に滞在したアメリカ人高校生を受け入れ、島の人たちとの交流を持ってもらったところ、07年、08年と2年連続で世界一の評価を受けたとのことだ。

島の雰囲気や島民のもてなしにグローバル時代に通用する魅力がある、と記事は伝えている。

これまでの「ないものねだり」から「あるもの探し」への転換こそが、これからの地方が目指す方向であるとも書かれている。

先の東洋文化研究者、アレックス・カー氏は、常に「明珠在掌」(宝物は実は自分の手のひらの中にある)ということを考えているそうだ。

戦後、日本の町並みが加速度的に西洋化したのは、日本人に誇りがないからだともいう。

そのことには、ある程度は共感できる。

敗戦からの復興を最優先し、物理的のみならず精神的にも、旧き善き日本を捨ててしまった感はある。

しかし、裏を返せば、自らの文化に固執せずに、合理性を重視し、柔軟に物事を考えられる民族であるのではないだろうか。

これは特筆すべきものかもしれない。

時代が合理性を求め、日本人がそれに応えたのだ。

ただ、これからは、合理性ばかりを追求する時代ではない。

「何か新しいものを」と焦燥感に駆られるのは、人としての心情だし、これからもある面では、さらに合理性が追求されていくであろう。

しかし、もはやそれが全てではないことを我々は知っている。

精神的豊かさが求められる時代なのだ。

情緒的なるものに重きをおき、本当の豊かさを目指さなければならない。

このとき、日本人が持ち前の柔軟性をどのように発揮できるかだ。

そのためには、アレックス・カー氏が仰るように、外にばかり目を向けるのではなく、内に目をむけることだ。

内なるものを大切に思い、そこに幸福を感じたい。


国というレベル、地域というレベルにとどまらず、個人のレベルで内なるものに目を向けたい。

自らが持っているもの、強みと言い換えてよいかもしれないが、この強みをもっと表に出そう。

どうしても自分の知らないこと、弱みの部分をなんとかしようとして、そちらばかりに意識が向く。

しかし、「ないものねだり」はしんどい。

自分に備わっていないものを追いかけるよりも、自分の得意分野を磨いたほうが楽だし、磨くことによっていつの間にか、自分に備わっていないものが身につくことがあるような気がする。

そのように考えると、速度を落として、情緒的になれるような気もする。

そう。気楽に自分自身の特性を生かすことを基本としよう。

「あるもの探し」を楽しんで、誇りを持って生きて行こうではないか。


本日のパパからのメッセージは、

「宝物は実は自分の手のひらの中にある!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「予定どおりに帰宅できた!」

です。

Why?

→ ゴールを意識すれば、集中して仕事ができることが実感できたから。