その12 食べ物に執着しなくてもよい。食事の雰囲気を楽しもう!

昨晩、溝の口の「たまい」で食事をしました。

両親と3人で行ったのですが、いやー「安いこと。安いこと。」

ビール(中瓶)2本、焼酎1杯、ディダオレンジ1杯
名物金運つくね2本、やきとり5本(お任せ)、水菜と豆腐のサラダ、
ごぼう唐揚、名物ちゃんこ鍋

これで、5900円でした。(うち900円はお通し代です。)

すべての料理が、すばらしく美味しいとはいいませんが、総じてレベルが高いと思います。

特に「名物金運つくね」「名物ちゃんこ鍋」は、味、ボリュームとも特筆ものです。

また、店は風情があってよいです。

木造の古い建物に、梁があり、壁には半紙でメニューがところ狭しと張ってあります。
実に気取っていなくてよいです。

神田や浅草にあるような老舗店だと、風情が格式に転じてしまい、ちょっと肩に力が入ってしまうし、
新宿あたりの古い店だと、なんとなく常連さんが多くて新参者は肩身の狭い思いをしてしまう気がします。

溝の口あたりのローカルな町だと、格式とは無縁だし、常連さんが居ても威張っていないので、心地よく感じます。


で、本日、昨晩の余韻に浸るように読んだのが、「志ん生の食卓」です。

この本は、古今亭志ん生師匠の娘さんである美濃部美津子さんが執筆されたもので、昨年の神田古本祭りの際に出版元であるアスペクト社のブースで購入したものです。

小学生の時に学校の図書館で借りた「まんじゅうこわい」で落語に興味を持ち、NHKラジオから流れてくる志ん生師匠の「品川心中」(ませガキですね)を聴いたのが、パパが落語好きになるきっかけでした。

志ん生ファミリーといえば、イコール貧乏というイメージがあり、この本を読んでいてもまさに、そのとおりのことが書かれていましたが、貧乏の中にも、直向さ、明るさが感じ取れます。

同じ江戸グルメを紹介した池波正太郎さんとは異なり、庶民が口にしていたであろう食べ物が紹介されていたのが印象的でした。
志ん生師匠は頑固にこれらの食べ続け、その様子を美津子さんの家族を想う愛情たっぷりの文章と相まって、目の前に志ん生師匠、馬生師匠、志ん朝師匠が居るような錯覚を覚えました。

つくづくと、今の世の中って、贅沢だと思います。

はじパン(パンの耳)に砂糖をつけて食べたときの感動を忘れてしまったことを思い出させてくれました。


それにしても、江戸っ子って格好よいですね。

食べ物に執着しないで、手早く食べることを、第一義としているところが、とても合理的です。

昔のお母さんたちも、おかずは、佃煮やら煮豆やらを、フツーにお店で買ってきていたんですね。

今、食育問題が話題になっており、「お母さん方が、デパ地下やスーパーで中食を買って帰り、それを子供たちに食べさせるのはいかん。」という意見もでているようです。

でも、お母さんだって、働いているんだから、それで、仕方ないんじゃないですかね。

美津子さんが、中野屋のおやふく豆を今でも買いにいくと書いてありましたが、思い出の味が、お店のものでもよいと思います。

大事なのは、あとがきに書いてあったとおり、「誰とどんなふうに楽しく食事の一時を過ごしたか」です。


パパは、君たちと「楽しく食事の一時を過ごせるように」ママにお願いを続けます。

そのときに、どんな食べ物をご馳走しようか考えると、なんだかワクワクしてきます。


本日のメッセージは、

「食べ物に執着しなくてもよい。食事の雰囲気を楽しもう!」

です。

1月6日のメッセージと似ていますね。それだけ大事だということです。