その89 マスコミの報道を鵜呑みせず、全体の課題が何であるかを考えてみよう!

何気なく見ていたテレビでブランド豚の特集をやっていました。

ブランド豚といってもブランド和牛と比較するとお値段が安く、庶民でも少しがんばれば口にすることができるように思えました。
(最も高い金華豚でも、100グラム1000円台でした。)

テレビでは、何件かの養豚場が、それぞれに工夫をして美味しい豚肉を生産している様子が紹介されていました。

餌にバームクーヘンを与えたり、さまざまな種を掛け合わせたり、個々の農家の工夫は素晴らしいの一言です。

日本人の味覚は世界に誇るものであるとよく耳にしますが、これは生産者の努力に拠るところが大きいように思われます。

■生産者が工夫をして、味に変化をつける。

■消費者は、その工夫を見逃さずに、美味しいものを素直に評価する。

このような生産者と消費者のせめぎ合いが日本の食に携わる現場の至るところで繰り返されていて、日本の食文化を支えてきているのでしょう。

確かに、これは日本人の特性なのでしょう。

和牛が海外でもてはやされているなど、「日本人の味覚」は世界と勝負できる分野の一つかもしれません。


でも、世界と勝負できるような肉や野菜を生産できるのは、ごく一部の生産者に限った話のような気がします。

最近、テレビ、雑誌等のマスコミ報道において、このようなある種の工夫をして成功した農業生産者の特集が目につきます。

例えば、Oisixのように、有機農法を全面にたて、安心感という付加価値をつけて、生産者と消費者を直接結びつける手法も最近よく話題になっています。

しかし、その成功ブランドの陰に隠れて、いわゆる普通の生産者がたくさんいるのです。

パパたちが普段口にするのは、これらの普通の生産者が丹精こめて作った、野菜や肉です。

ある種の厳しい基準を要求する生産方法にはついていけない農家がたくさんいます。

それらの農家に光を当てる政策はないものでしょうか?

農協支配から脱却した新しい農村の形を模索することも有意義ではありますが、急進的にそのような方向へ行ってしまうと、民間の理論についていけない農家が見捨てられる懸念があります。


農業政策に限らず、大きな課題の中である部分について上手くいっている例があると、その目立つ部分にだけスポットがあたり、それが全体課題の解決策であるような誤解が生まれてしまうことがあるような気がします。

全体を見て、課題を分類して、それぞれの課題に対する解決策を当て込んでいかないと、結局何も解決しません。

例え部分的であったとしても、何もしないよりはましなので、それはそれで否定はせず、素直に功績は認めるべきです。

しかし、その成功事例に乗らない、あるいは、乗れない、その他多数について、悪であるとみなすような風潮にしてはいけないと思います。

すべての報道とは言いませんが、マスメディアとて利益を上げることが至上命令です。

なので、どうしても「目立つもの」「見る側の興味を沸きたてるもの」に報道が集中します。

でも、そのような光の当たる部分ではなく、光の当たらない部分にこそ、本質が潜んでいるのです。


本日のパパからのメッセージは、

「マスコミの報道を鵜呑みせず、全体の課題が何であるかを考えてみよう!」

です。


「素直な気持ち」を持つことも大切ですが、「疑う目」を忘れてはいけません。

年がら年中、天邪鬼ではいけませんが、正しいかどうかのフィルターを通したうえで、自分なりの評価をするよう心がけましょう。