その91 孤独に打ち勝つためには確固たる信念を持ち行動するのみ!

二十歳の原点ノート」(高野悦子著)を読み始めました。

14歳の彼女が切り取る日常は、当然に、自らが属する学校、家庭という狭い世界であります。

しかし、その狭いはずの世界を記した日記から、ときどき、深遠なる宇宙世界のような無限の拡がりが垣間見えます。

ただ日常の出来事を書き連ねるのではなく、悩んだこと、考えたことをきれいにまとめようとなんかせずに、彼女の内面を素直にさらけ出しているため、日記から彼女の思考の揺れ動く軌跡を感じることができます。


日記とは、本来このようものなのでしょう。

パパが書いているブログは個人の記録であると同時に、その性質上、不特定の人の目に晒されることを常に意識しているため、どうしても「格好つけ」が入ってしまいます。

きれいにまとめようとするがために、逆に本当に言いたいこと、思っていることが、点でしか示せずに、パパの気持ちが君たちへ伝わらなかいのではないかと不安に思えるときがあります。

日記はビジネス文書ではないので、思うがままに書き連ねたほうが、内面が伝わるような気もします。


しかし、日記ではなくブログという媒体を選んだ以上は、内面を表現することより公共性を守ることを優先させるべきです。

ここでいう公共性とは、「読んでいる人を不快にさせないこと」であります。

日記という私的世界を飛び出してしまったブログという比較的新しい媒体について、現在はノールールと言っても過言ではないでしょう。

読者を不快にさせないというブログのルールの何と難しいことか?

そうなんです。日記とブログは似て非なるものなのです。

なので、パパは内面を抉るような記事は今後も書きません。

ビジネスライクに、物事をできるだけシンプルにして伝えていくように努力したいと思います。


ところで、以前知り合いの方に今年からブログを書いているんですと言ったら、「なぜ、日記ではなくブログなのか?」聞かれたことがあります。

「君たちが大きくなったときに、パパのブログを見つけやすくするため」というのがパパの答えでしたが、実はそれ以外に、誰でもよいからパパの気持ちに共感して欲しいという欲望があります。

結局、パパは孤独が嫌なだけなのです。

他人に干渉されるのは嫌なくせに、誰かに認められないと嫌だという、実に矛盾を孕んだ人間です。

弱さを捨て去り、強くならなければと思います。

高野悦子さんが14歳で考えいたことをもうすぐ40歳にもなろうという大人が考えているのは恥ずかしい限りですが、この歳になったも弱いままなのだから仕方がありません。


地獄を味わったつもりではありましたが、それだけでは孤独に打ち勝つことはできないようです。

正直に言うと、これまでのパパは、ママや君たちに縋ることにより、孤独に打ち勝とうとしていました。

しかし、これでは迷惑ですよね。

迷惑なばかりではなく、何ら前進もしません。

確固たる信念をもち、その信念に導かれて行動をして、世の中に貢献をしていく。

具体性の微塵もありませんが、こんな生き方をしたいと思います。


本日のパパからのメッセージは、

「孤独に打ち勝つためには確固たる信念を持ち行動するのみ!」

です。


ビジネスライクに文書を書くと宣言をしながら、今日は、筆が乱れています。

情けないですが、「孤独であること。未熟であること。」という高野悦子さんの二十歳の原点は、そのままパパの三十九歳の原点に当てはまります。

まずは、「格好つけ」はせず、この三十九歳の原点を認めるところから始めたいと思います。