その101 日単位の目標を手帳に書き込もう!

「初夏のような」とは言い過ぎですが、4月中旬にしては気温が上がり気持ちの良い1日でした。

湿度も低く、蚊もいないので、子どもたちが安心して外で遊ぶのに、丁度よいのではないかと思います。

パパも午前中1時間ほどランニングをしてきましたが、適度に汗が流れ、とても気分よかったです。

満開になってから雨が降っていないため、桜の花もまだ幾分残っており、風に吹かれて舞い落ちる桜の花びらのシャワーを浴びると、何か新しい門出を迎えるようにさえ思います。


今日は、読みかけの本を読んだり、溜まっているマインドマップを描いたりして、わりとのんびりと過ごしました。

でも、相対的にのんびりすること(本を読んだり、マインドマップを描いて休日を過ごすこと)はよいとしても、個々にはもう少しスピードをあげる必要があります。

世の中にはパパより忙しい人がたくさんいて、さらに、パパよりもっと本を読んだり、勉強したりしている人もたくさん含まれています。

現在のパパの状態は、一昔前にパパが憧れていた状態、すなわち休日の行動が一切自由である状態なので、家族サービスや家事で休日の大部分の時間を費やしている人から見れば、もっとがんばれるはずだと思うでしょう。

これらの人たちは、どうやって効率的に読書あるいは勉強等を行っているのでしょうか?

きっと、短時間で集中して一気に片付けるのでしょう。


そうであれば、パパも集中するために短時間で物事をすすめることを心がけてみます。

パパはなまじ時間ばかりあるので、ダラダラしているので、明日からは、休日にやるべきことも、きちんと手帳に書き出すことにより、個々の作業を短時間で集中して行うようにします。

具体的には、

■ランニング(いつものコース約1時間)
■読書(「子どもは「話し方」で9割変わる」福田健)
■CFP教科書(48ページまで)
市民農園の手伝い
■ブログの更新(1時間以内)

を、手帳に書き込みます。


このように、前日のうちに、明日の目標を明確にするために手帳等に書き込むことは、仕事では当たり前のように実践していたのですが、休日については、ついつい疎かになっていました。

「休日も何かしら前向きな取り組みをしているからよい」という甘えがどこかにありました。

前日のブログに書いたように、結果として、気乗りしない場合は、別の行動に差し替えても構わないとは思いますが、予定を明確にしておかないと、特に隙間時間の使い方がいい加減になってきてしまいます。

プライベートなことに対して目標を設けて、それをクリアするよう努力するという取り組みは、月単位では実践していましたが、週単位、日単位に落とさなければ、ダメですね。

たとえ、月単位では辻褄があったとしても、細切れに目標をクリアしていくほうが、効率はよいはずです。


「休日くらいスケジュールに縛られずのんびりしないと疲れてしまう」という考え方もあるかもしれませんが、これは数をこなしていけば、いつか当たり前のこととなって、ストレスでなくなるはずです。

ランニングをしていて思うのですが、同じ坂道を上るときでも、日によって苦しさが異なります。

これは、坂道に対する意識の強弱の差です。

「坂道のことを正面から意識してしまう日」と「何か別のことを意識しながら坂道にたどり着いた日」とでは、確実に苦しさに差が生じます。

したがって、明日のスケジュールについても、なるべく時間に縛られているようなイメージは持たず、目の前の作業に集中したいと思います。


パパは、仕事に限らず、日々指標をもって行動ができる人になりたいと思います。

もう少し先、君たちが大人になったときには、そのような行動がとれていればいいなと思います。

子どもは、どうしても親の行動に影響を受けます。

パパは、目の前で実践してあげることはできないけれど、今後努力して実践をして、結果について何らの形で伝えていきます。

そして、今後、会う機会ごとに、規範となるよう接したいと思います。


本日のパパからのメッセージは、

「日単位の目標を手帳に書き込もう!」

です。


パパが君たちに対してできることが限られていると思ってしまうこと自体がネガティブな発想であることに気がつきました。

君たちに会えないからパパがだらけてしまうのは、おかしな話です。

毎日、君たちと接していたら、こういう行動をとるだろうと想定して、正しく、堂々と生きていこうと思います。