その103 「信じていてくれる人」のために生きよう!

窓を開け放って朝食を食べる。

今日までは、「爽やかな初夏を思わせる陽気」だそうで、なるほど、春の花々の香りを微かに含んでいるような乾いた風がテーブルの上を通り過ぎていきます。

「特別な日」に相応しいなと思いました。

暗く淀んだ空気より、明るくクリアな空気のほうが、人の心は和みます。


出発の時間まで、心を落ち着かせるために「ランナー」(あさのあつこ著)を読んで過ごしました。

離婚した両親、兄妹というシチュエーションに運命的なものを感じつつも、無駄な言葉がない爽やかな情景描写に、しだいに物語の世界へ没頭させられていきます。

この作品のように、行間からシーンを想起させる物語は、読んでいて実に気持ちがよくなります。

おかげで、ざわついていた気持ちが少し凪いできました。

つまらない損得や雑念は一旦引き出しに仕舞い込み、今日は「平常心」だけを鞄に詰めて出発します。


 そして・・


とても幸福な1時間とちょっとでした。

満面の笑顔がもやもやしていた空気を溶かすと、明るい陽光が差してきて、その光に照らされた空気の色は、あの夏の日と何も変わっていないと錯覚してしまいます。

いや、自分で錯覚したいと思い込んでいたのかもしれません。

今日の空のように、穏やかに、清々しく、そして、ゆっくりと時が流れて行きます。

時計が逆回転をして、今すぐにでも、あの日に戻れると本気で思えてしまいます。


「信じていてくれる人」のために生きよう!

つまらない、意地の張り合をして、自己満足にしかならないことにエネルギーを費やすことはやめようと思います。

パパが命を捨てても守らなければならない人は君たちなのだから。

君たちが不安になるようなことは排除しなければいけませんね。


つくづく、「つまらないことだったなあ」と、あの夏の日の夜のことを思い出してしまいます。

お互いが正義と思っているような争いは、他人から見れば、単なる喜劇です。

人は誰でも「思い込み」があるものだとは思います。

「思い込み」に寄りかからなければ、きっと自らの2本の足で立ち続けることに疲れてしまうのでしょう。

その「思い込み」から脱却するためには、自分という視点だけではなく、「信じていてくれる人」の視点でどこまで物事を考えられるかであると思います。

自分の「思い込み」に引きづられることなく、他人の気持ちを慮り、自らの両足で大地を踏みしめ、そして歩き始めることができるような人間になりたいと思いますし、君たちにもそのようにあって欲しいと思います。


本日のパパからのメッセージは、

「「信じていてくれる人」のために生きよう!」

です。


幸福の密度を計算できるとしたら、今日の1時間ちょっとの時間は、とても濃いものでした。

日常当たり前であったことが、目の前から消失して、はじめてその日常がとても幸福であったことに気づきます。

それでも、その過去の幸福に縋っていては何も進みません。

例え失ったものが大きくても、それが目の前にある現実です。

現実を直視して、その現実から何がしかの幸福を実現するために、日々努力をしていくことが大事なのです。