その117 バックパックを背負って世界を見てみよう!

ヴァラナシからカトマンドゥへ向かう飛行機を見たときは冗談かと思いました。

今日も、旅の話の続きをします。

2列×20だったと思います。40人乗りの小さなプロペラ機の乗客は、パパたち3人のほかチベット僧が2人の合わせて5人だけ。

それでも、国際線の飛行機はきっちりと離陸をし、途中、チョモランマやK2の頂を天空から眺めながら(注)、無事にカトマンドゥへ到着しました。

注:チョモランマやK2が見えると、乗務員の方が教えてくるのですが、乗客5人と乗務員1人の6人が、飛行機の左右どちらかに集まるので、飛行機か傾きがしないかと本気で心配していたことを思い出しました。


カトマンドゥへは夜の到着でした。

セスナから眺めるカトマンドゥは、頼りないオレンジ色の光が大地のところどころにしかない、寂しげな印象でした。

空港を降りたとたん、タクシーの運転手が一斉に声をかけてくる光景はインドのそれと何ら変わりませんでした。

ガイドブックに載っていたネパールの清廉なイメージがあっという間に崩れていきます。

中心部まで行くバスターミナルまでたどり着く前に、タクシーの運転手たちの熱意を交わし続けることができず、結局タクシーで中心部へ向かいます。

しかし、タクシーが街の中心部に近づくにつれ、インドとは明らかに違う何かを感じとることができました。

細い道に薄明かりが灯され、適度に人が流れている様子に、なぜか、夏祭りの夜店を練り歩いているような錯覚を覚えました。

そして、看板に「Pizza、Pasta」の文字を見つけたとき、「あー、これか」とあっさりと解に到着しました。

そうです。カトマンドゥには、日本で生活をしているときに当たり前のように存在していた「西洋文化」が溶け込んでいたのです。


インドには10日ほどいたのですが、そこには、日ごろ慣れ親しんでいる「西洋文化」を肌で感じることができなかったです。

もちろんインドは大英帝国の植民地であったので、いわゆる洋風建築もあるし、7UPやコーラといった飲み物は、完全にインド人の生活に密着しています。

しかし、何と言うか、あきらかにインドは西洋文明に侵食されることに対して拒否オーラを発していました。

これが、ネパールにはありません。

ヒマラヤトレッキングという観光が国の産業の柱である、この小さな国にとって西洋との共存は、当たり前のことだったのでしょう。

おかげで、正直ホッとしました。

そうです。人は自分たちの日常とかけ離れた異文化の中ではストレスを感じるものなのです。

なので、Pizzaという看板を目にしたとたん、安堵感が拡がるのです。

海外旅行で異文化と触れるなどと大きなことを言っても、所詮は、ある程度は自文化を保持して、これをベースにしなければ、心から楽しめないものなのです。


ネパールには4日間ほどしか居ませんでしたが、とても楽しい印象があります。

曇りが続き、ヒマラヤは見えませんでしたが、レンタルサイクルでチベット寺院や史跡を巡ったりして楽しみました。

食事もカレーから解放されて、モモというネパール風餃子に舌鼓をうち、西洋人の観光客の横で柔らかすぎるパスタを食べたり、水牛のハンバーグを食べたりのしました。

リゾートとまではいえませんが、このような西洋文明との交わりに格好の良さを感じていました。

こんなスタイルが楽しいなら、アジアを旅行する意味がないのではないかと真面目なことも思ったりしましたが、それはそれでよいのです。

せっかくアルバイトで貯めたお金をつぎ込んで、最後のラグビーの合宿も途中で切り上げてきた旅行なので、とにかく楽しむことだと、誰に聞かれてもいないのに妙な割り切りをしたことを思い出しました。


ひ弱く、ミーハーなパパたちでしたが、インド、ネパールの旅は、その後のパパの人生を形成するにあたり、何かを与えてくれました。

うまく表現はできないのですが、物質的な豊かさとは別の清々しい生き方が確かに存在し、どんな状況でもひたむきに明るく生きる世界に触れた、現実世界に対する多様感とでもいうべき感覚です。


一生に一度ヴァラナシで聖なる河ガンガーで沐浴をすることをこれまでで最も幸福なことであると言い切る老人
ヒマラヤの麓のやせ細った畑を耕しながら、来世人間として生まれてくるために、日々マニ車を廻し続ける老婆

宗教は苦手なパパですが、精神的な豊かさを楽しむ生き方の一端を感じ取ることができた、とても有意義な旅でした。


本日のパパからのメッセージは、

バックパックを背負って世界を見てみよう!」

です。


バックパックを背負い、自分で切符を手配し、安宿を探していると、自然とその国が身近に感じます。

ツアーでチャータしたバスから見る風景より、現地の人と一緒に乗るオンボロの路線バスから見る風景のほうが、より濃く見えるものです。

パパなどが触れたことがない世界にどんどん触れ、ぜひ、多様な何かを感じとってみてください。