その124 悲しみや寂しさを怒りに転嫁するのではなく、素直に悲しみ、寂しさという感情に浸ってみよう!
上野の東京国立博物館で開催されている「国宝 阿修羅展」へ行ってきました。
上野駅を降りると、公園口改札の左手には進めず、右手方面へ一端進んで、列の最後尾について欲しいとのアナウンス。
上野駅には人、人、人。
なぜ?
そばに居る人の会話に耳を傾けてみると、すぐに納得。
上野動物園が無料開放されているとのことでした。
明日から天気が下り坂になるとの予報が出されていることもあり、みなさんGWの思い出作りに来ますよね、それは。
で、人を掻き分けながら、国立美術館まで到着すると、当然、こちらは無料などではないのですが、やっぱり結構込んでいました。
建物に入るまで50分待ちです。
まあ、暑くもなく、寒くもない爽やかな5月の風に吹かれながら、持参した本を読みながら、待つのもそんなに悪くはありませんでした。
ところで、パパは国立美術館は2回目なので知らなかったのですが、どうも国立美術館は、この待ち時間の間に、ミネラルウオーターを飲ませてくれたり、日傘を貸してくれたりというサービスが定番化されているようで、とても好感度が持てました。
民間でないのにこういうサービスを受けると、税金の無駄遣いだなどと憤慨される方もいらっしゃるかもしれませんが、こういうサービスにはどんどん税金を遣ってもよいと思います。
(そもそも入園料の中に含まれているのかもしれませんが・・)
日本の美術館は(と、言っても外国の美術館に行ったことはありませんが)、とにかく人が多すぎるため、じっくりとお目当てを鑑賞することができないため、来園者は何がしかの不満は持っているものと思われます。
その不満を多少なりとも緩和するには、よいアイディアであると思います。
美術館に並んでいるマダムには日傘が良く似合っていて、その場面を切り取れば、ひとつの絵になるように思えます。
さて、阿修羅展の感想です。
興福寺建立1400年を記念した今回の展覧会ですが、展示数は少ないような気がしますが、その分、阿修羅像をはじめとする八部衆、十大弟子の像などの仏像に気持ちが集中でき、仏を信じた時代の微香のようなものを嗅ぎ取ることができました。
まず、展示室に入ると、興福寺の中金堂(これは現在再建中だそうです)で発掘された、装飾品がガラスケースに収まっていましたが、ここは、人の流れが遅すぎるためほとんど満足に見ることができませんでした。
そして、八部衆の像(阿修羅像は除く)と十大弟子の像の展示室へ。
対象物が大きく、ひとつひとつが離れたところにあるため、こちらは案外ゆっくりと見ることができました。
八部衆は、弥勒菩薩やら阿弥陀如来の穏やかな表情とは異なり、戦闘モード全開の表情であると感じました。
ただ、同じ戦闘的でも鎌倉時代の運慶などの像とは異なり、あくまでも、人間の顔をベースにした守護神の表情であり、仏教がよりリアルなものであったことを想起させます。
ちなみに、八部衆の中には、カルラという鳥と人間の顔をミックスさせたような仏像もありましたが、なんというか、正義のヒーローが素顔を隠して仮面を被っているようで、これはこれで戦隊ヒーロー的にリアルに感じました。
一方、十大弟子の像(うち6体を展示)は、リアルに高僧の姿を仏像にしており、皺やあばら骨の表現など、まさに人そのものを写し取っていると感じました。
後の時代にも、高僧を仏像として崇める例はありましたが、それは○○上人像と呼ばれて、あくまでも高僧という扱いだったので、この十大弟子像が仏として扱われているのとは、やはり差があるのでしょう。
やはり、当時の仏教が、デフォルメされておらず、釈迦が起こした原始仏教に近かったことを現してしるように思えました。
そして、阿修羅像です。
こちらは、360度見渡せるように通路で囲まれたステージの上に展示されています。
木造なのですが、四方を黒で囲まれた展示室に下からの明かりが照らされる効果のため、まるで金色(こんじき)に輝いているようでした。
当たり前なのですが、顔が3つあるので角度によって異なる表情を見せており、不思議な感じがしました。
そして、次に感じたのは、思ったより華奢で、どこか遠くを見つめているような眼差しが寂しそうであるということでした。
この像間近で見るまでは、「阿修羅」という言葉から、怒りに満ち溢れているような印象を持っていましたが、実際の阿修羅像は、怒りという一面に加えて、悲しみ。寂しさといった感情が複雑に混ざり合った、人間そのものであると感じました。
阿修羅像を含む八部衆は仏を守ることを使命としているとのことですが、「怒りだけでは仏を守ることはできない。悲しみや寂しさがわかってこそ、仏を守ることができるんだ」そんなことを教えられたような気がしました。
これは人間世界にも通じると思います。
パパは仏教の世界は素人ですが、こんな素人のパパに、人として生きる道を諭してくれるのだから、仏教美術は凄いのかもしれません。
美術館を出ると、入場待ちをしていたときより少しだけ熱を帯びた風が全身に吹き付けてきます。
風を真正面から受け止め、その風に立ち向かって最短距離で目的地を目指すことも大切ですが、時には風に逆らわずに遠回りして目的地を目指すこともよいではないか。
背中で阿修羅像がそう囁いているような気がしました。
本日のパパからのメッセージは、
「悲しみや寂しさを怒りに転嫁するのではなく、素直に悲しみ、寂しさという感情に浸ってみよう!」
です。
他人の痛み、悲しみを理解できる人が本当に強い人間であるとパパは思います。
そのためには、自らがそのような気持ちになったら、素直に従ってみてください。
そして真に強い人間になってください。