その127 思ったこと、感じたことを素直に相手に伝えよう!
んなに小さなことでも褒められると嬉しいものです。
今パパは「編集術」を習っています。
松岡正剛氏が主催するISIS編集学校の「守」コースです。
このコースでは、2〜3日に1つずつインターネットでお題をこなしていくのですが、回答のつど師範代(いわゆるコーチ)が、パパのつたない回答の中から褒める部分を探し出してくれて、実に暖かい言葉で褒めてくれます。
お題に取り組むのは、2〜3日に1回1時間程度なのですが、この短い時間さえも、師範代の暖かい褒め言葉がないと継続できていないような気がします。
しかし、よくもまあ、きちんと褒めてくれるものだと思い関心しました。
「これは善い!」などと思い、パパも実践してみました。
ただ、実践をしてみたはよいものの、これが結構疲れて、かえって不機嫌になってしまいました。
人間、不慣れなことをするとダメですね、
相手にもかえって気味悪がられて、妙に警戒されたりします。
特に「裏」があるわけではないのですが、不自然な行動はすぐに見破られるのだと思い知らされました。
きっと、「褒めてやる」などと変に力んでいたのでしょう。
もっと自然に振舞わなければいけませんね。
では、どうするか?
思ったのは、良いこと、悪いことを含めて、「思ったこと」「感じたこと」を素直に相手に伝えるというこです。
このとき大事なのは、「照れ」「計算」「打算」といったフィルターを通さないことだと思います。
これらのフィルターを通さないということは、感情をストレートに表現するということになるでしょう。
このような表現手段をとると、感情に流され、論理的でないような負のイメージを持つかもしれませんが、感情的であることと、論理的であることは、両立し得ると思います。
論理的に筋道を立てた結果だからこそ、強く感情的に相手を揺さぶろうとする気持ちは理解できます。
逆に、感情的でないすべての人に当てはまるとは思いませんが、あまりにもクールに振舞われると、どこまできちんと物事を真剣に考えているのか疑問に思えてしまいます。
そうです。パパが信頼できるのは、感情を素直に表す裏表がない人なのです。
もし、裏表がないという人となりが分かっていたら、例え怒られても素直になれるし、逆に褒められでもしたらとても嬉しくなります。
自然体で接する中での褒め言葉こそが心に響くのです。
先刻の師範代が感情的な方かどうかは直接お目にかかったことがないので不明ですが、パパたち学衆に対する個々のコメントが実に味わい深く自然体で飾ったところがなく感じられ、そんなところから裏表のない方なんだなと半ば勝手に思い込んでいます。
「編集術」の旅はまだまだ続きますが、また気がついたことがあったら日記に書き残して、君たちに伝えていきたいと思います。
本日のパパからのメッセージは、
「思ったこと、感じたことを素直に相手に伝えよう!」
です。
子どもはパパやママに褒められるために、物事を必死に覚え、ひとつひとつ社会のルールを学んでいっているのでしょう。
君たちが良い行いをしたとしてもパパの笑顔を見せてやることはできませんが、その分ママにいっぱい、いっぱい褒めてもらってください。