その133 論理的思考を捨ててみよう!

宿題がたまってきました。

ISIS編集学校のお稽古が溜まってきているのですが、なかなか手をつけられません。

朝早く起きたので、なんとか1題こなしましたが、あと2題あり、本日中にもう1題来る予定なので、結局3題たまったことになります。


これまで順調に回答を重ねてきたお稽古が急に滞りはじめたのは、あるお題で再回答を求められたことによります。

この再回答要求は堪えました。


自分なりには、満足のいく回答だったのですが、師範代という添削をしていただいている方には、うまく伝わらなかったようでNGを出されました。

NGの理由も、「イメージできない」というように、なぜかがわからないところがあり、たかだか制限時間1時間のお題でしたが、手を進めることができませんでした。

もともと答えがない世界なのですが、感性は答えを見分けるのでしょう。

パパはまだまだ修行が足りず、その域まで達することができません。


しかし、よくよく考えてみると、世の中のほとんどのことは、このISIS編集学校のお稽古と同様に、答えなどない世界の中で営まれているのかもしれません。

パパは、それなのに必死になって論理的に答えを導き出そうとして、そして、論理的でないものを否とする生き方をしていたような気がします。

これがママたちとの摩擦の原因だったのかもしれません。

だとすると、君たちには申し訳ないことをしてしまったと思います。

論理的展開は一種麻薬で、一度、それに慣れてしまうと、非論理的展開がとても居心地が悪く、許せなくなります。

そして、次に、論理的な思考をできない人に対する疑念が生じてきます。


これは、いけないことです。

本当は、論理的思考などどうでもよく、全体的な質感を第一感で判断して、決断をすればよい場面がたくさんあります。

なんでもかんでも、左脳的に説明をしようとしても、それは、どこかで破綻します。

なぜなら、論理的に考えられていない問題は、その答えも論理的でないのです。


そうだ。

感性を研ぎ澄まさなければ。

敢えて論理的な思考を停止し、素材の色、雰囲気、周囲の音、手に触れたときの感覚を思い出し、素直に喜怒哀楽を表してみようと思います。

人間は案外、感覚優先のほうが上手に生きられるものなのかもしれません。


本日のパパからのメッセージは、

「論理的思考を捨ててみよう!」

です。


社会全体が論理的に考えることを放棄してしまうことはないでしょうが、論理的に思考する人は、実は少数派なのかもしれません。

それよりも、全体の質感で判断をしたほうが楽ですし、決して答えが間違ってしまうことも内容な気がします。


ところで冒頭の再回答の件ですが、パパの頑固なまでの論理的な思考のクセを、ISIS編集学校の師範代はいち早く見抜き、質感の大切さを教えてくれたのかもしれません。


明日も早起きをして稽古をしなければと思うような、本日の日記でした。