その135 小さいときから自分で判断をして、その判断した結果を他人へ伝えてみよう!

少々無理を通すことが続いています。

■役所で、あるはずの書類がないと言われ、もう一度よく探して欲しいと頼んだこと
→ 結局、書類は見つかり、手続きが完了しました。

■銀行で諸手続をする際に、複数の通帳のうち一冊足りない(※)ので本日はできないと言われ、後日持参するから手続きを進めて欲しいと頼んだこと
→ 新しいカードを取りにくる際に一緒に持参することでご容赦いただきました。 
※通帳のある箇所について訂正印を押して手書きで修正するだけ

■一度失効したものを復活させることができず、新規扱いになると言われたことに対して、復帰して欲しいを頼んだこと
→ いとも簡単に復活をしてもらえました。

パパのこれらの依頼事項は、どれも無理難題を押し付けたというものではなく、ひと手間かければ対応ができるはずのものばかりだと思っています。

断る側の理由としては、「面倒だから」という訳にはいかないので、「規則ですから」などと言っていますが、本当に規則が存在するか怪しいところです。

例えば、本人確認を怠ったりといったモラルにかかわるようなことは、さすがに認めてはいけないと思いますが、些末な部分は、フレキシブルに対応して欲しいと思います。

すべての我侭を聞いてほしいと言っているのではありません。

依頼する側にとって重要なことであって、かつ、依頼された側の負荷がそれほど変わらなければ、なるべくニーズにこたえてあげるべきだと言っているのです。

依頼された側にしてみれば、100分の1かもしれませんが、依頼する側は1分の1なのです。

勝手な言い分かもしれませんが、規則というものには弾力性があってもよいと思います。

大事なのは、規則を設けた目的が何であるかを見極めることです。

少し過激ですが、なぜ規則を守らなければならないのかが説明できない規則は不要だと思います。

ルーム・トゥ・リードのジョン・ウッド氏は、小さいとき図書館の方の好意で制限数以上の本を借りていたと著書「マイクロソフトでは出会えなかった天職」で語っています。

この手の話は、日本ではあまり耳にしませんが、欧米ではままあることのようです。

勉強熱心な少年に、少し多めに本を貸し出したところで、誰もこまらないと判断をしたのでしょう。


これが大人の対応だと思います。

日本も、個々の判断でフレキシブルに対応できる大人になるための教育をしていかないと、創造性のようなこれからの世界で求められるであろう思考力の分野で、どんどん諸外国との差が拡がってしまうような気がします。

まずは、小さいときから、自分で判断をさせるクセをつけさせることです。

親や先生がレールを敷いてあげて、その上を安全に走るだけでは、本質的なところを理解する訓練が絶対的に不足してしまいます。

小さなことからでよいので、まずはこどもに判断をさせましょう。

そしてその子どもの判断した内容を他の人に伝えさせましょう。

せっかくの自己の判断も、外に発しなければ、評価がされず、成長しづらいはずです。


本日のパパからのメッセージは、

「小さいときから自分で判断をして、その判断した結果を他人へ伝えてみよう!」

です。


小さいときからのコツコツとした判断の積み重ねが、将来発生するであろう重大問題の判断に役にたつことは確実です。

「自己判断」というクセをママといっしょにぜひとも付けてください。