その144 尻込みせずに、自分の知っている理論を振りかざそう!

父がある農園に行ってきて、帰宅後におもしろい話を聞かせてくれました。

その農園では、有機農法を実践しているのですが、有機肥料を苗のすぐそばに撒くのではなく、少し離れたところに撒くそうです。

そうすると根っこが自ら肥料を求めてどんどん伸びるそうです。

目の前にある肥料は一見栄養分がいきわたり苗の成長によいのですが、もっと大事なのは見てくれより根っこの成長とのことです。


また、素人が苗を選ぶときは、茎が太いものを選びがちですが、水分を吸った状態ではふやけて茎が太くなるそうです。

選ぶポイントは、茎の硬さだそうです。

茎が硬いということは、過度に水を与えられていないということで、これが強さの証だそうです。


根っこの話、茎の硬さの話ともに、「見た目の立派さに惑わされず、一見目立たない部分にも注目して本質を見極めろ」という、実に教訓的な話であると思います。

農業は、いくらでもこういう話があるからよいです。

「自然から教えてもらえ」とは、先人はよく言ったものだと思います。


昔の人は、これを経験から見つけたのでしょう。

たとえ、人から教えてもらったとしても、すぐに自分で体感できて、その教えが正しいということを理解できたので、知識だけだったものが自分の体に染み付いていったのだと思います。

特に、水田文化の日本では、四六時中、田んぼの草むしりをしなければならなかったので、自分にとって未経験の知識を、実際の農業体験から学ぶ機会がいくらでもあったのです。。

では、現代の社会ではどうなのでしょう。

いくらよい教訓に出会って知識として吸収したとしても、体感できていないので、体に染み込む、つまり、「知識の内容を自然の振る舞いの中で発揮するようなこと」ができないのではないでしょうか?


これは農業だけに限った話ではありません。

知識ばかりが先行して、実践では何もできないということが、農業以外のビジネスの社会でも、しばしば出現します。

頭でっかちで理論ばかり振りかざす輩は、社会では嫌われる存在です。

どちらかというと、パパもそのタイプなのかもしれません。

それでも、理論を知っていて何も言わぬ者よりも、自分の思いを語る者のほうが立派であると考えます。

なぜか?

理論を振りかざすことにより、他人にそれが伝播し、話が良い方向に展開していく可能性が高いからです。

そして、もう一つ。

自分で理論を振りかざすと、その理論を実践で使えるように自ら努力をします。

なので、実践ができないからと言って、尻込みせずに、自分の中に吸収している理論を振りかざしましょう。


なお、最悪なのは、理論を知らないことはまだしも、理論を知ろうとしないことです。

そのうえで、自分が知らないことを他人に言われて「頭でっかち」などと権力を振りかざす上司などがいると目も当てられません。

その場合は、せいぜいその上司の機嫌を損ねないように、つまらない部分に少しだけ力を注ぎましょう。


本日のパパからのメッセージは、

「尻込みせずに、自分の知っている理論を振りかざそう!」

です。


ところで、前段で書きましたが農業はよいです。

こーちゃん、もーちゃんの家には、畑作りの名人のジジとババがいます。

農業から見た世の中の本質的な部分をいろいろと教わって、理論も実践も両方を身につけてください。