その145 苦しいときこそ、他人へは笑顔で接しよう!
当たり前ですが、交渉ごとは難しいです。
思いどおりに事が進みませんでした。
玄人相手に、素人が浅はかな考えをぶつけても、うまくいくはずがありません。。
はっきりとした意思表示ができないまま、機を逸してしまいました。
絶望的な結果を察してから騒ぎ立てても、もう後の祭り。
スマートさとは正反対の、あきらめの悪さが自分でも嫌になります。
普段は偉そうなことを言っていても、いざというときには、こんなものです。
そして、最悪なのは、自らの失敗を人のせいにしようとしているところ。
人からの意見を真に受けたもの、相手の立場を理解しなかったのも、すべて自らの責任のはずなのに、明らかに苛立っています。
本当のところはわかりませんが、あまりにもタイミングがよかったのも事実です。
平穏だったのに、まさに風雲急を告げるといった感じで、次々と登場人物が現れました。
先方の駆け引きだという意見にも同意できます。
実際にそうなのかもしれません。
ただ、最初に駆け引きを用いたのはパパでした。
結果論ですが、こんなことなら、駆け引きなどせずに、ストレートに感情をぶつけたほうが上手くいっていたとも思います。
感情が表に出やすい反面、ある部分では、素直に気持ちをぶつけられないのは、パパのダメなところであると自覚をしています。
悪い結果はなるべく引きづらない性質ですが、今回の件はだいぶ堪えています。
結構ネルギーを費やした分、正直なところ気が抜けました。
先週の中ごろから、細かなことを含めると、いろいろなことがあったので、だいぶ疲れました。
それでも、仕事中は集中しなければなりませんし、編集の稽古もしなければなりません。
最近は極端に読書のペースも落ちてきましたし、昼休みのランニングもご無沙汰です。
運命論者ではありませんが、早くこの悪いサイクルを断ち切りたいです。
こういうときこそ、深呼吸をして落ちつかなければと思います。
自分の不幸をふり撒かないないように、せめて、他人へは優しくしよう!
心が最悪な状況でも、できることはあります。
人に優しくすることは、どんなときでもできることです。
自分の命がもうあと僅かであると悟ったときに、自分のためにはできないことが、他人のためには最後の力を振り絞ってできるそうです。
奇跡は自分ためではなく、人のために起きるものです。
少し元気になるまで、家族や友人の力を借りたい、と素直に思います。
無理して格好をつけて生きてきた分、ひとつひとつが堪えますが、小さな感謝を積み重ねていれば、いつかトンネルを抜けると信じてがんばります。
本日のパパからのメッセージは、
「苦しいときこそ、他人へは笑顔で接しよう!」
です。
本文中にもありますが、自分が上手くいかないことを、他人のせいにすることは人として最低の行為の一つであるとパパは思っています。
うまくいかなかった原因は、すべて自分にあると思ってください。
うまくいかなかったことを他人のせいにすると、いつまでも悔いが残りますが、自分のせいだと思うと、案外許せたりするものです。
そして、上手くいっていない自分に対して、自分自身を笑ってしまうくらの余裕をもてれば、なおよいです。
とても今のパパには余裕がなくてできな芸当ですが、せめて、君たちは心に余裕を持って、自分を客観視できるように、おおらかに育ってください。