その156 決断の要因に対するプライオリティをノートに書き写しておこう!
人が決断をするときの決め手となる要因は、それまでにさんざん考え抜いてきたことではなく、案外、瞬間的に閃いた非論理的なことなのかもしれません。
これまで、なぜ決断できずに、悩んできたかと言うと、決断に至る条件を満たしていなかったためです。
なので、その状態で決断をするには、何か切欠が必要です。
そして、その切欠は、あまり主題とは関係のない、オプション的な機能であることが多いような気がします。
コンビニで飲み物を買うとき、どれにしようか悩んでいる状態を後押しするのは、味や値段ではなく、どうみてもすぐに捨ててしまう、おまけだったりします。
飲み物を選ぶ際の目的は、程度のこそあれ、美味しい飲み物をなるべく安くにつきるはずなのに、ガラクタに目を奪われ、他との比較もせずに瞬間的に手にとってしまうという非論理的な行動をしてしまいがちです。
コンビニの飲み物であれば、さして差がないですし、やり直し(その時購入しなかった商品を後日購入する)も可能なので、問題はありませんが、人生の中でわりと重大な決心も、この非論理的な瞬間的な閃きに委ねているような気がします。
決め手がないということは、どこかに引っ掛かりがあるということなので、その引っ掛かりを解消しない限りは、慎重な態度を崩すべきでないと考えます。
そして、本来であれば、その引っ掛かりについて、あらゆる角度で熟考し、妥協できる範囲なのか否かを判断したうえで、結論を出すべきです。
本質とは関係のない、オマケで結論を見出してはいけません。
でも、なぜ、さんざん悩んだことを、全く異質な要因を持ってクリアしてしまうのでしょう?
これは、
■第一に「悩むのが面倒になったきたから」
■第二に「オマケに気がついた自分に酔っているから」
だと思います。
一つ目の「悩むのが面倒になったきたから」は、誰しもが持っている思考のクセです。
苦痛なことからは一刻も早く解放されたいというのは、いたし方ないでしょう。
でも、そのような一時の快楽に流されず、粘り強く考え抜きましょう。
上から見て、下から見て、前から見て、後ろから見て、それでもダメなら、自分が逆立ちをして見てみるくらいのことが必要です。
粘り強く考えることによって、どういう決断をしたとしても、後悔の度合いが小さくなるので、やってみて損はありません。
そして二つ目の「オマケに気がついた自分に酔っているから」は、自分だけが知っていると言う優越感をキープしたいがための完全な自己満足です。
ビジネスの現場などでも鋭い意見を言った人は、その意見に固執するがために、その話題に留まってしまい、全体が見えなくなってしまうことがままあります。
優越感など、客観的な根拠のない、ただの気分の高揚感のひとつに過ぎないのに、なぜかその小さな感情の波が、全体を支配してしまうことがあるのです。
流れにより、今まで気がつかなかった別角度の問題が、全体方針に影響を与えることは、事実としてあるかもしれませんが、大抵の場合は、あとで気づく課題は当初気づいていた課題よりも小さいものです。
多面的なアプローチも重要ですが、そのときに忘れてはいけないのは、プライオリティを意識していることです。
常に、重大なことのプライオリティを念頭においておけば、客観的に判断ができるので、思考が面倒であるだなどと思ったりもしないし、小さな自己満足にずっと酔いしれるようなこともないです。
そして、プライオリティは、スマートではないですが、一度紙に書いておいたほうがよいです。
人間は案外都合がよく、せっかくの思考の結果を、その場の雰囲気で、あっさりと覆したりできるのです。
なので、確固たる信念とまで大げさではないにしろ、メモ帳に箇条書きでもよいので、プライオリティを書き出しておくことを強くお勧めします。
本日のパパからのメッセージは、
「決断の要因に対するプライオリティをノートに書き写しておこう!」
です。
プライオリティを意識することについては、佐藤可士和さんの著書「佐藤可士和×トップランナー31人」の中でも、仰られていました。
そして、誰に見せるわけではないので、どんどんプライオリティをメモしてみましょう。
あとで、決断をくださなければならないときに、必ず役に立ちます。