その174 快適な環境下に居座らずに、敢えて過酷な環境下に身を置いてみよう!

朝からじめじめと蒸し暑い1日でした。

しかし電車も冷房が効いているし、オフィスに朝早い時間を除いては、快適です。

畑仕事とかをしなくなった分、どうも発汗がわるくなってきたような気がします。

もちろん、ランニングをすれば汗は滴り落ちるのですが、日常生活の中で、思いっきり汗を流す機会というのが減ってしまったので、新陳代謝が落ちてきているように思えます。

なので、今年は家ではクーラーを使わない生活に挑戦しようと思います。


そもそも今の部屋にはクーラがありません。

夜寝るときに窓を開け放ち、風を入れ込むと、部屋にあったそれよりも微かに冷たい空気が肌にあたります。

その感触を極限まで感じようと神経を集中させると、不思議と寝苦しいというようなことがありません。

どうしても熱く感じたら、冷たい水を一口飲むと、体の体温が下がっていくことを感じることができます。

そのようにまずはメンタル面で、暑いと感じないような前提条件を作っておけば、多少の寝苦しさはカバーできるような気がします。

人間、与えられた状況に慣れてくると、自然と体が適応してくるのでしょう。

まだ、今年は熱帯夜などを迎えていないので、偉そうなことは言えませんが、がんばれるだけがんばりたいと思います。


ところでパパが住んでいるマンションの廊下を歩くと、どの部屋にも室外機が並んでいます。
(ないのはパパの部屋くらいです。)

当然、窓は締め切り状態。

プライバシーという観点もあり、もはや都会のマンションでは、クーラーが必需品なのでしょう。

でも、子供にとって、よいのかなと思ってしまいます。


暑ければ汗をかく、パジャマがびしょびしょになったら、着替えればよいのです。

さらさらの着衣は、ストレスを退散させ、確実に安眠へと誘います。

一度、快適な環境に置かれると、厳しい環境に置かれたときに、うまく適応できないような気がします。

これは、クーラーという温度、湿度の管理ばかりではなく、我々の生活全てについてです。


不快なものから快適なものへの変化は容易に受け入れられますが、逆は、身体的にも精神的にも受け入れ難いものです。

なので、多少のストレスが発生しても、少し過酷な環境に身を置くべきではないでしょうか?

ストレス体性がないと、これからの激しい環境変化に順応できなくなります。

ただ、自らが進んでストレスの海へ入っていくとまでの覚悟は不要だと思いますが、自分の生活の中を見渡して、快楽を少しづつ捨てていくことをしてみるとよいと思います。


で、そこには一つ基準を設けたほうがよいと思います。

30年前になかったものは、なくてもよいと判断をして思い切って捨ててみるということです。

なぜ、30年前かというと、特に根拠はありません。

強いて言うなら、今時点のパパが明確に記憶に残っているのが30年間分だからです。

これは人によっては、あるいは考察する時期によっては、10年前でもよいし、5年前でもよいと思います。

あの頃は、なくても全然ストレスなく生活していたなーというものを、見つけてみましょう。

未来へばかりに目がいきがちですが、たまには過去へ時間軸をずらしてみるようなことも大切なのです。


本日のパパからのメッセージは、

「快適な環境下に居座らずに、敢えて過酷な環境下に身を置いてみよう!」

です。


パパは、もうすぐ新しい生活を始めますが、クーラーは暫く買わないつもりです。

この夏をクーラーなしで乗り越えることで、体力面と精神面の強化をはかってみたいと思います。

夏の夜の風との付合いが今から楽しみです。