その192 現実が正解である。他人のせいにしている暇があったら、未来のために行動しよう!

今年はじめて蝉の鳴き声を聞きました。

昼間は事務所の中にいるので、もっと前から鳴いていたのかもしれませんが、今日まで気がつきませんでした。

昨夏、君の目の前で、羽化したばかりの蝉の手づかみして見せた、その日に、パパは君と引き裂かれました。

パパから蝉をもらって嬉しくもドキドキしたような君の姿。

「今日はパパとプールに行くんだ」と言って一生懸命にパパの手を引いてずんずんと歩いていく君の姿。

そんな幸福な朝が一転、あんな地獄のような1日になるなんて・・

もうすぐ、真正面から「夏」という季節と対峙しなければなりません。


だいぶ立ち直ったつもりですが、時々、ふとしたことで傷跡を抉られます。

「人は傷ついた分、他人に優しくなれる」とか、

「一度地獄を見れば、大抵のことには絶えられる」とか、

言いますが、まだ、パパはそれらを会得するに至っていないようです。


仕事では、なるべく感情は排すようにした結果、他人に対しては厳しさが増しています。

一方、辛いことに対して、平然としていられるだけの器量も備わっておらず、不平・不満は、我慢できずについつい漏らしています。


この1年間で、いろいろな人と話し、いろいろな本を読み、いといろな体験をしましたが、本当にまだまだ未熟です。

せっかく反省をしても、そのことが活かせず、同じことを繰り返し失敗してしまうことも多々あります。

一生懸命にがんばっているつもりでも、どうも空回りしてしまっているようです。

君たちに会ったときに恥ずかしくない人間でありたいという一心から、「いい加減さを排し、真面目に取り組む」という決意をしたのですが、成果が現れずに焦っています。


ただ、これは自信を持って言えるのですが、現在のあまり幸福とは言い難い状況を「他人のせい」特に「ママのせい」と思ったことはありません。

結果は起こるべくして起こったのであり、原因を他人のせいにしたところで、現状が変化するわけではありません。

「起きていることはすべて正しい」という勝間和代さんがよく引用する、フィリップ・マグローの言葉どおり、すべてを受け入れるところからはじめ、そのうえでできることが何であるかを考え、それを実現するために行動するよう心がけているつもりです。


本日も、従前お願いしていたある件について、実現が難しいという回答をいただきました。

短絡的には、お願いごとはあらかじめ約束されていたものなので、当然に守られるべきであると思うのですが、結果として他者の都合があり実現できないとのことだったので、残念ですが、潔くあきらめるしかありません。

動かしがたいことに対してエネルギーを消費するのは、無駄であるので、原因の追究や感情的な謝罪などは、特に求めません。

むしろ、次回別の局面において、同じようなことが起こらないよう、予防することに力を注ぎたいです。

なぜ、うまくいかなかったのか、手続き上の不備は何であるか、原因を見つけ出して、それを改善するような、未来のためにエネルギーを消費する必要があると信じます。

なかなか思うようにことが運びませんが、「人のせいにせず、現状できることにエネルギーを注ぐ」ことは、これからもずっと続けていきたいです。


本日のパパからのメッセージは、

「現実が正解である。他人のせいにしている暇があったら、未来のために行動しよう!」

です。


1日1時間程度、毎日の日課としてブログを書くことについて、すっかり習慣化しました。

離れて暮らす君たちにいつか届いて欲しいと思い、日々愚直なまでに、真面目にメッセージを送っているつもりです。

不安定な気持ちが、そのまま乗っかってしまっている下手くそな文章ですが、一生懸命に書いているつもりです。

どうか、大きくなったら、パパの伝えたかったことを一つでもよいから汲み取って、自身の幸福な人生に役立ててもらえればと思っています。

パパの親としての役割は、まだまだ続きます。


蝉の鳴き声のよって抉られた傷跡が、ブログを通して君たちと会話したことによって、少し乾いてきたような感じがします。