その195 交渉ごとでは、言葉を選んで慎重に発言しよう!
今更ながらですが、欲しかった物件が売りに出されたようです。
あのとき決断を先延ばしにしていたら、この物件に即飛びついていたことでしょう。
−100、がんばって−200。
でも、リフォームをしていないので、+500で、トータル+300〜+400でしょうか?
結果、最終的に決めた物件と比して、+200〜+300になっていたことでしょう。
広いこと、大規模であること、静かであることなどのメリットがある一方、
古いこと、宅配ボックスがないこと、エレベータの使い勝手が悪いこと、そして結果的に高くつくことなどのデメリットもあり、
したがって、結果よい決断であったと思っています。
なぜ、あの物件が欲しくなったのか?
たまたま見た部屋が、リフォームしたばかりでとても綺麗だったこと、木々に囲まれた環境が当時の自分の気持ちにあっていたことなど、自分の中で、「この場所が良い」という思い込みを作り上げていたようです。
その後、いくつか物件を見てまわっても、最初の思い込みはなかなか乗り越えることができず、逃してしまった悔しさだけが、しばらく後をひきづりました。
そして、切欠は、1日3部屋の強行軍でした。
1部屋目は、広さ、眺め、設備等申し分なかったのですが、予算が届きませんでした。
もちろん無理をすればという考え方はありましたが、昼間、無駄に空いている部屋のために、高い金利でローンを借りるのもばかばかしく、また、価格を下げない強気な態度も相まって、あっさりと撤退しました。
2部屋目は、金額的には満足でしたが、あまりにも古く、リフォームで+500かけると、立地からして、将来の価値が期待できないような気がして、こちらからお断りしました。
3部屋目は、やや強気な値付と、狭さは気になりましたが、立地、設備が素晴らしく、ちょっとクラっと来ました。
最終的に決めた物件が現れず、交渉で−200まで下げてくれれば決めていたでしょう。実際、そのような交渉にも入っていただく準備もしていました。
この1日3物件を見学した日に、「実はもう一つ売りに出されそうな物件がある」と教えらたのが、最終的に決めた物件です。
3物件を見学した翌日、メールで1部屋目、3部屋目の価格交渉をして欲しい旨を頼んだ際に、「実は昨日話をした物件が売りに出された。平日だけど水曜日に見学に来る人がいるから先に見ませんか?」と言われ、火曜日に見学に行き、差し迫る影もあったこともあり、その場で決断しました。
もちろん、部屋内について問題ないという判断をしたのですが、決め手は、駅近という立地による、将来にわたる価値の維持でした。
まあ、もうひとつ大きな理由がありますが、ここでは伏せておきます。
しかし、なんというか今思うと、怒涛の決断でした。
業者の側からしてみれば、まず3件の物件を見せることにより、こちらの買う気を活性化させます。
その3件についての含みを持たせながらも、いかにも便宜をはかったとういう形で、新たな物件を紹介します。
そして、他の客の存在をちらつかせながら、限られた時間の中で決断を強います。
口では「急いでいない」と言いつつも、タイプの異なる物件について値段交渉をお願いした時点で、「何でも飛びつく客である」と見透かされていたのかもしれません。
そうすれば、「売主の事情があり本来の相場よりお得です」とか、「この場所は資産価値がありますよ」とか、と煽れば、簡単に落ちてしまいます。
今回の件について言えば、「騙された」とは思っていないし、後悔もしていません。
冒頭書いたように、結果、支出を抑えられたのかもしれず、その点はよかったのかもしれません。
ただ、今後のあらゆる局面において覚えておかなければいけないのは、売り手はプロであるということです。
もちろん「買う気がある」という前提ですが、こちらがいくら警戒をしていても、型にはめてしまえば、相当な確立で落とすことができるのではないでしょうか?
相手のペースにはまってしまうと、一気に持っていかれます。
なので、少しでも自分の内面を見せないためには、警戒をしているそぶりを解除せず、核心部分については、必要最低限なことだけを慎重に発言するべきです。
これは不動産に限らず、あらゆる交渉の場で言えることかもしれませんが、感情をぐっと抑え、クールに振舞うことにより、物事を有利に進めることができます。
限られた時間の中で決断を強いなければいけない局面は今後もあるでしょう。
しかし、そのときに、相手に支配されていては、冷静な判断ができないかもしれません。
自らが客観的判断を下すために、最終局面に入るもっと前段から、無邪気に本心を曝け出すことは控え、主導権を握るよう心がけましょう。
本日のパパからのメッセージは、
「交渉ごとでは、言葉を選んで慎重に発言しよう!」
です。
ただ、これはあくまでもビジネスの世界の話であって、家族や友人との関係においては、素直に自分の感情を曝け出してよいと思います。
「何を考えているかわからない人」の前では、どうしても警戒してしまいます。
警戒は猜疑心を生み、やがて誤解へと発展していきます。
心を許せる関係においては、本音でぶつかり合い、多少の甘えは許しあえることとが望ましいのです。