その199 スピードの変化、強弱の変化を意識的に使おう!

ブラームス交響曲1番の第4楽章ばかり聞いています。

何かの誕生を予感させるイントロから、徐々に殻が打ち破られ、一瞬の静寂の後、あまりにも美しすぎる旋律のプロローグへと突入していきます。

力を溜めて一気に激しく爆発するという曲が多い中で、力を溜めた先に美しき流れが待ち受けているというのがこの曲の特徴であると思います。

ただ、時に速く、時にゆっくりと、指揮者に操られて奏でる珠玉の音の集合は、確かなエネルギーを持っています。

このスピードの変化とピアニシモとフォルテシモ、つまり強弱の変化が、相まって、一つの世界観を作り上げています。

カラヤンはよく口にした「レガート」ということなのでしょうか?

素人のパパには言葉でうまく説明することができませんが、確かに感性の部分で感じるものがあるのです。


ヒットチャートの上位に来る曲は、確かに心に響くし、ジャズの名演奏のCDでは、一期一会的な瞬間の喜びを感じることができます。

しかし、ブラームス交響曲1番だけでなく、クラッシク音楽と呼ばれる作品は、聞けば聞くほど、よくできています。

■時に速く、時に遅くのスピードの変化
■ピアニシモとフォルテシモの強さ変化

これが、圧倒的に違います。

もちろん作品の長さが異なるので、それぞれの場面に合わせて、変化をつけるという構想は、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、音という制約された世界で、メロディーだけでなく変化を最大限活用して、聴衆の感性を刺激しているところが実に奥深いと思います。

クラッシク以外の現代の曲も、スピードや強弱の変化はありますし、上手く効果は発揮しているのですが、なんというか、振れ幅の次元が異なっています。

それはそうです。いかにコンピュータを屈指しようと、指揮者に操られたオーケストラの調和には適いません。

将棋ソフトがプロ棋士に勝てないように、達人が繰り出す、右脳的な感性には及ばないのです。

最初はメロディーラインを気に入るか/否かの判断(これは左脳的なもの)で、その曲の善し悪しを決めてしまっていますが、スピードや強弱にもっと注目をすべきだと思います。


そして、これは、音楽だけの話ではなく、日常生活においても同様であると考えます。

あまり意識などしなくても、日常生活の中において、スピードや強弱の振れ幅は、間違いなく存在しています。

ただ、これは多くの場合、全体の流れ=レガートの中とは無関係な、単発的な変化です。


もっと、全体の流れを意識したうえでの、変化を効果的につけて美しいレガートを目指すべきです。

そうすると、例えば、急ぐ理由も際立つし、そのように判断した自らの心も揺れることがないのです。

変化を支配したいものです。

そして、左脳的には理解できなくても、右脳もあわせて全体で、バランスが取っていればよいかなと思います。


本日のパパからのメッセージは、

「スピードの変化、強弱の変化を意識的に使おう!」

です。


日常のレガートを指揮するのは、もちろん自分自身です。

なので、全体の有体から目指すべき姿を想像し、そのうえで右脳、左脳を刺激するようなテクニックにトライしてみましょう。