その205 良い「癒し手」(ヒーラー)になることを心がけよう!
何の感慨もなく、あっけなく手続きが完了しました。
いくつかの書類にサインをして、指定口座に金額を振り込むと、儀式は終わりです。
これで一生に一度とも言える大きな買い物が終わったわけです。
実際の引渡しまで幾分間があり、また登記の手続きもこれからなので、手元には何枚かの領収証くらいしかなく、物理的な実感が薄いのは致し方ないかと思います。
まあ、感慨などに浸る暇はなく、一歩一歩やることを進めていくしかありません。
ネットの功罪なのか、業者も今後の手続きについて懇切丁寧に教えてくれるということなく、「インターネットで調べればわかりますから。何かあったらご連絡ください。」などとの賜ります。
もちろん、ネットと縁遠いような客には、きちんと説明をするのでしょが、大抵の場合は、先の台詞で仕事を終えてしまうのでしょう。
流れを一通り説明をしてもらったところで、行き着く先はインターネットなので、結果は変わらないのかもしれませんが、丁寧に説明をすべきであると考えます。
もちろん個人差はあるのでしょうが、多かれ少なかれ「手続き」というものに対して、人はストレスを感じるものです。
実務を理解させるというより、ストレスを解消するために、一通りの説明は必要であると思います。
今、癌を克服した後、ツールド・フランスで何度も優勝を遂げた自転車レーサであるランス・アームストロングの「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」という本を読んでいるのですが、その中で癌の治療の際、医師や看護婦が実によい「癒し手」(ヒーラー)であったということが書かれています。
医師や看護婦なので、技術的に優れていることはもちろんですが、不安を抱える患者の前では、いかに安心させるかという精神的なケアの技術がとても重要なのでしょう。
甘やかしすぎてもいけませんが、治療という過酷な非日常の世界で、いかに日常的に振舞うかということが、患者のストレス除去にとても役立っていることでしょう。
プロとはこういうことです。
技術一辺倒にならずに、感情にも配慮をする。
医師や看護婦だけでなく、どんな職業であっても、他人を相手にするのであれば、「癒し手」(ヒーラー)を目指さなければなりません。
今回の諸々の手続きについては、たかが知れているものではあります。
電気、ガス、水道、電話。
ひとつひとつ確認をしていけばよいだけなので、通常の心理状態であれば、何のことはないのかもしれません。
ただ、コツコツと溜めたお金と引き換えに、もはや返品することができない大きな買い物をした後だけに、買い手側には「不安」が存在するのです。
形式的であってもよいので、とおり一辺倒の説明により、癒してもらいたかったと思います。
翻って、パパ自身はどうでしょう?
人に仕事の指示をするとき、良い「癒し手」(ヒーラー)と言えるのでしょうか?
恥ずかしながら、まるで自信はありません。
忙しさにかまけているのか、十分な状況説明をせずに、核心部分=結論に切れ込んでいってしまうことが多々あります。
指示を受けた側は、新しい指令に対する、少なからぬ不安=ストレスがあるはずなのに、結論を求められるのですから、たまったものではありません。
形式的でもよいので、相手のストレスを除去するような振る舞いを心がけなければならないと思います。
本日のパパからのメッセージは、
「良い「癒し手」(ヒーラー)になることを心がけよう!」
です。
さて、淡々と手続きをこなしていかなければばりません。
新しい生活をより快適にスタートさせるために、今できることをひとつひとつ確実にこなしていきたいです。
たかだか引っ越しです。
アームストロングの壮絶な物語から勇気をもらい、ノーストレスで行きたいと思います。