その235 共感しよう!でもその体験に引きずられすぎることがないように!

子供たちが、花火が上がるたびに「どーん」と言って声を合わせ、パパやママが笑顔で子供を見やります。

どこかの子供が「はなびすごい!かんげき!」と叫び、母親もそれに同調します。

近所の花火大会を見たのですが、素直に楽しめません。

綺麗だなと感じたり、工夫をしているなと感心をしたりすることは、もちろんあるのですが、心の底から楽しむことができません。


理由は2つあります。

1つ目は、あの記憶のフックになっているためです。

希望を喪失した、あの日にも派手に花火が上がっていました。

花火が放つ光と、それに呼応する歓声が、絶望の暗闇の淵を漂うパパには、まぶしすぎ、どこかに消え去りたいという思いになったことを、花火を見て思い出してしまいました。

2つ目は、共感できる人がいた過去との比較において、一人の視覚的な美しさでの感動度など、到底届かないためです。

つまり、過去に花火大会において、視覚の感動に加え、それを言葉で伝え合って共感できる人がいたときの体験が素晴らしかったため、共感のない視覚ショーでは、どこかで比較論として楽しくないと決めつけてしまっているのです。


もっと素直に事実そのものをまっすぐに評価するべきです。

だって、過去の体験なんて、今を楽しむうえで関係ないじゃないですか。

現在起きている事象をみるのに、色眼鏡は不要です。

もちろん、ビジネスなど、過去との比較を何がしかの決定の判断材料にするような場合は過去の体験がとても重要になってきますが、感性の世界ではかえって邪魔なように思えます。

物事を見るとき、自由にフィルターのかけはずしができればと思います。

子供のときのような素直な感動が人生を豊かにするのでしょう。


景色、香り、音・・、日ごろのちょっとしたことで、気持ちよいと感じることができれば、毎日がワクワクしてきます。

もちろん、それらのことに対して、他人と共感をすれば、喜びが増幅されます。

共感はどんどんしてください。

自分で気づかないことを、他人から吸収するのは素晴らしいことなのです。

ただ、その共感経験に引っ張られすぎないことを忘れてはなりません。


一人でまっすぐ物事を見つめる力と他人と共感する力

これらをバランスよく身につけ、日々の感受において、どちらかに偏らないようにしましょう。


本日のパパからのメッセージは、

「共感しよう!でもその体験に引きずられすぎることがないように!」

です。


花火を見ながら、君たちが傍らにいればどれだけ楽しいだろうということを考えてしまうのはやむを無いです。

ただ、現実ではないので、現実の範囲の中で、どれだけのものを感受できるかが大事ですよね。