その236 境目の感情を大切にしよう!

夏と秋の境目を旅してきました。

山形県の山寺から米沢経由で裏磐梯で1泊し、会津若松を通って大内宿に立ち寄る小旅行へ行ってきました。


まず、入道雲を眺めながら、夏の陽射しの中、山形県の山寺(立石寺)に登りました。

下界から、修験者の山に一歩入ると、木々によって陽射しが遮られるため、暑さを忘れることができました。

松尾芭蕉が此の地で「閑さや岩にしみ入蝉の声」という句を詠んだということに、生意気ながら賛同できます。

しかし果たして、このひんやり感は、林特有の涼しさなのでしょうか?

答えは否。

修験者たちの厳しさや洗練された心が、此の地全体に緊張感を与え、これが涼しさに繋がっているようでなりません。

場の作りだす、土地固有の温度間を実体験するような場所でした。


最上川に沿って、途中、鮎をとるための簗などを見ながら米沢へ。

ちょうどドラマ「天地人」では、昨日、後から会津へお国替えを言い渡されていましたが、タイムリーに、昨日米沢を、そして今日会津若松を通りました。

米沢の上杉神社では、もともと此の地を治めていた伊達政宗、ビジネスマンにも信奉者の多い上杉鷹山を差し置いて、此の地とは直接関係のない上杉謙信銅像に人気が集まっているようでした。

上杉景勝直江兼続銅像はなさそうでしたが、神社のそばの大きなホールでは、「天地人」の催しが開催されており、結構盛り上がっているように見えました。

ただ、大河ドラマが終わると、この盛り上がりが、かえって空しいことに感じられてしまうような話もよくききます。

米沢という町には、米沢牛、米沢ラーメン、冷やしシャンプーなどの、ブランドを作る才能があるい、他の地方都市とは一線を画すような気さえ感じます。

これは、昔から交通の要所であり、多様な文化が交錯した結果作り上げられた伝統の結果ではないでしょうか?

短時間しか滞在しませんでしたが、米沢という町に、鋭気のようなものを感じました。


そして、ワイナリーなどに立ち寄りつつ、桧原湖畔のホテルへ。

湖上の背に夜の闇に飲み込まれた山々の影があり、天に敷き詰められた分厚い雲があります。

その間を、僅かにまだ夕映えの残骸のようにうすら明るい部分があり、そこに糸のように細い三日月が、弱い光を放っています。

この山々の影と分厚い雲の間が、夏と秋の季節の境目のように思えました。

天の雲は、秋特有の乾いた風に乗って、次から次へと流れていきます。

一方、山は当たり前ですが、どっしりして微動だにしません。

雲を秋、山を夏とすると、間の細い三日月のよわよわしい光に満たされた層こそ、曖昧で繊細な季節の境目なのです。


露天風呂に入るときの肌寒さの正体は、季節の境目そのものだったのです。

まだ夏であることを圧倒的に感じますが、秋もすでに始まっています。

この両者がまじりあった状態の中、ときには、都合よくどちらかに合わせて、またときには、双方を融合して、季節感をとらえることが大事です。

普段の都会でのサラリーマン生活では、積極的に季節を感じる喜びを見つけようと思っても、ボッーっとしていると、なかなか見つかりません。

なので、積極的に季節感を意識しましょう。

季節を感じる喜びは、ひとつひとつは小さいですが、足し上げると、相当なボリュームになります。

小さなどうでもよいことと思っていても、人間の本質的な部分では、そのような小さい喜びが将来の純粋な心に繋がるのです。


本日のパパからのメッセージは、

「境目の感情を大切にしよう!」

です。


旅は停滞を解いてくれるからよいです。

空気感、質感、音感、・・・

刺激をたくさん受け、日常の嫌なことをリセットしてがんばりたいです。