その285 いつか上り坂は終わると自分自身に言い聞かせよう!

体は疲れましたが、とても気持ちのよい2日間でした。

数ヶ月前に勢いで出場が決まったツール・ド・CHIBAが終わりました。

怪我もなく、パンクもなく、チームのみんなで完走することができました。

泊まりがけでこれほどまでに過酷な運動をするなんて、学生時代の合宿以来でした。
(ただし、夜は酒盛りになるので、純粋だった学生時代とはことなりますが・・)

いやー予想以上に厳しかった。そして楽しかった。


最終日のコースは、標高差こそ216Mですが、山越えが2つ。そのうちひとつは、150Mを一気に駆け上がる難コースです。

しかも、山越え以外のステージは、速いこと、速いこと。

スタート、あるいはエイドステーション毎に、競輪の選手が先導役として、40〜60人程度のグループが隊列を組んで走るのですがステージ毎にこのグループからこぼれていき、D組スタートだったのが、最終的にはH組まで落ちて行ってしまいました。

ただ落ちて行ったものの、この集団行動は実におもしろかったです。

基本的には顔見知りが少ない集団のなかで、事前に打ち合わせなどしないのですが、ある種のコミュニケーションが働きます。

ハンドサインといって、自分の腰のあたりで、減速や障害物のお知らせなど、前方の情報を後方に手でサインを送るなど、独学では学びにくいことが学べたので、それだけでも価値がありました。


ただ、今日は本当にきつかったです。

最初のステージ、最後のステージは、海岸線沿いで、ほぼフラットだったのですが、信号待ちなど以外に通常に走っているときは、アベレージ30kmオーバーだったので、見事なまでにちぎられました。

斜度のある坂道ならともかく、平坦なところで、30kmについていけないなんて、スタミナ不足を実感します。

1時間を超えたあたりから、太腿に乳酸菌が溜まった感じがして、足が上がらなくなります。

もう、最終的に精神論です。

ペダルを踏み込む、踏み込まないは、所詮は脳からの命令です。

スタミナ不足はもちろんですが、「もういいや」という感覚が、最終的には、筋肉への命令となります。

なので、自分自身で「もういいや」を言わせないことが大切になってきます。

今日走っていて気がついたのですが、「もういいや」は、たいてい自分の期待が外れたときに思っています。

つまり、ギアがきちんと入らなかったとき、ゴール(ステージ毎のエイドステーション)と思ったのに当てが外れたとき、カーブの先がまた上りだったとき・・

このように、苦しいときに、さらに追い打ちをかけるように、ネガティブなことが降りかかると、「もういいや」は起こります。

きっと、苦しくてやめたいのですが、それでもがんばっているときに、「他の要因だから仕方がない」という言い訳を与えてしまっているのでしょう。


万能ではないですが、これを少しでも和らげる方法も見つけました。

それは「苦しい坂道の上りもいつかは絶対に終わり、その先には下りが待っている」と自分自身に言い聞かせることです。

今日は、途中からこのことを思い浮かべながら、ペダルを漕ぎ続けました。

そうです。自転車に限らず、何事も苦労が永遠と続くわけではなく、いつか下り坂のように楽になるときがくるのです。

それを信じて、「もういいや」と心から折れてしまうことがないようにしなければなりません。

苦しいときに追い打ちをかけるように予想外のことが起こっても、そのことに責任を転嫁せず、本質的な部分で勝負を続けましょう。

坂道を下るのは、上りに比べたらあっという間です。

しかしそのときの爽快感は、上りで苦労した分、格別のものです。

上りで努力をすればするほど、長い下り坂を楽しめるのです。

人生はほとんどが苦しい努力の連続で、快楽はほんの束の間なのです。


本日のパパからのメッセージは、

「いつか上り坂は終わると自分自身に言い聞かせよう!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「五体満足で帰って来られた!」

です。