その287 一生懸命な人を応援しよう!

東京マラソンの抽選外れちゃいました。

さすがに8.9倍の競争率は厳しいです。

かといって希望者全員がエントリしてしまったら大会が成り立たなくなるので、これは致し方ないです。

潔く諦めましょう。

しかし、みなさんなぜ東京マラソンなのか?

パパも、東京マラソンがなければ、フルを走ろうなどとは思いませんでした。

湘南マラソンも気になりますが、両レースに出場した方に話を伺うと、東京マラソンのほうが断然おもしろいとのことでした。

理由は2点。

■常に景色が変化すること。
■沿道の応援が途切れることなく続くこと。

確かに、ツール・ド・千葉でも、沿道の暖かい声援にはこころが癒されました。

見ず知らずの人に手を振り、拍手を送る人たちから、どれほどパワーをもらったことか。

外房ののんびりした町でもそうだったのだから、都会での声援をライブで聴くことは、さぞや凄いことでしょう。

ランナーとそれを応援する何万人もの人々、きっと沿道には家族や知人も応援に来ており、ひとりひとりにエピソードが生まれます。

その個々のエピソードが、幾重にも重なり合い、壮大なドラマを創り出すのです。

「東京がひとつになる日。」というキャッチフレーズは、きっと嘘ではないのでしょう。


神田昌典氏は、「東京がひとつになる日。」というキャッチフレーズに、人々が「物語」を感じるからだと説明していましたが、たしかに東京マラソンには物語的な魅力があります。

その物語は何かと紐解くと、当日のレースの数時間だけではなく、もっともっと長い時間をかけたものなのでしょう。

登録をして、抽選結果を待ち、練習をして、晴れの本番を迎えるとう一連の「流れ」にあるのかと思います。

本番までの間、新しいウェアやシューズを購入したり、ランニングの特集を組む雑誌を読んだりと、42.195キロのゴールに向かって、日常が流れていきます。

どの大会でも同じなのかもしれませんが、情報=エネルギーについては東京マラソンが圧倒的で、まさに特別な存在です。

ランナーがそして応援する人たちが、そして東京の風景が、物語を紡ぎます。

年に一度、「ひとつになる」をキーワードに、普段は決して挨拶を交わすころのない他人同士が、笑顔で「がんばって」「お疲れさま」と声を掛け合う交わりは、そう「祭り」に似ています。


東京マラソンは、間違いなく「現代の祭り」です。

重たい神輿を担ぐ代わりに、熱い火にあぶられる代わりに、冷たい海に入る代わりに、ただ走り続けるのです。

ラソンの神様に、無事完走できることを、そしてできれば自己ベストのタイムでゴールする幸運を祈り、明るく走っていくのです。

東京というある意味みんなの第2、第3の故郷で、地元の祭りに参加しているのです。

石原都知事は失敗した政策も多かったですが、東京マラソンは大ヒットです。

残念ながら、オリンピックは誘致できなかたけれども、これからも、大胆な交通規制をかけてエコなイベントを仕掛け、東京という街、日本という国を、環境面でアピールしていってもらいたいものです。

パパは、また次の物語に参加するため、長いプロローグを楽しみます。


本日のパパからのメッセージは、

「一生懸命な人を応援しよう!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「ランニングに対するテンションがあがってきた!」

です。