その304 私心を捨てよ!世の中のために自分ができることをやろう!

三遊亭円楽師匠が亡くなくなりました。

三波伸介氏に代わり急遽笑点の司会を務めた当初は、スムーズさを欠き、失礼ながら、技術的には下手くそな司会だと思ったこともありましたが、嫌みのないそのキャラクターは誰からも愛され、技術云々ではないところで、いつのまにか名司会

パパは、ある時期、笑点こそ、落語の地位を低下させていると思ったことがあります。

落語という芸の真骨頂である、人物描写や間の取り方などが一切排され、単なる言葉遊びに終始しており、落語に馴染みのない人たちに、これが落語と思われることを悔しくさえ思いました。

ただ、大人になってみると、笑点のよさがわかります。

大喜利は、個々の回答を楽しむのではなく、全体の流れを楽しめばよいのです。

誰かの回答が詰まらなければ、司会者や別の回答者がその回答に対して、何らかのリアクションをします。

しかも、そこには、自分だけがうければよいとか、特定の者を貶めるような悪意は全く存在しません。

なんというか、チーム笑点として機能しているようです。

昨今では、落語ブームなので、笑点を観て、春風亭昇太師や林家たい平師の独演会で落語に入って行く人も多いのかもしれません。

落語は、常に時代の変化に晒される必要があるので、何にしても間口を拡げることは重要です。

そういう意味で、円楽師匠の功績は大きいと思います。

志ん朝師匠は、晩年、芸の品格と落とたと言われかねないテレビのバラエティー番組への出演を避けていた節が見受けられますし、

家元は、自らの芸と相容れない噺家との共演を絶対的に拒むでしょう。

なので、大衆化の中に自らが入って行くという、芸においてある一定の評価を得た人が避けるべき、仕事を円楽師匠はよくぞ引き受けたものです。

「紺屋高尾」など、人情話の情感を笑点の中で表現することは不可能です。
(あの豪快な体躯から、よくぞ花魁などを見事に演じられるものかと関心してしまいます。)

したがって、円楽師匠の落語を聴いたことのない人は、「ワッハッハッ」と笑うだけの、豪快な落語家だと思ったかもしれません。

一度でも、円楽師匠の噺を聴いたことはあれば、決してそのようなことは思わないのですが、テレビというマスメディアで与えられた役割を演じてしまうと、本当の自分とは違うところで、評価が一人歩きしてしまう恐れがあるのです。

これを引き受けたことは、素晴らしいの一言です。

今でこそ、桂歌丸師匠が司会にピタッとはまっていますが二十数年前では、明らかに役不足だったでしょう。

落語の低迷期を支えた功労者の一人です。

笑点以外にも、失敗はしたものの私財を投げ打って寄席を立ててみたり、よそでクビになった噺家を受け入れて真打にまで育てあげたり、リーダーとしての資質があったのだと思います。

大衆的な顔の裏にある、人情と(落語への)危機感。

これを感じることができる人は、他にも大勢いるでしょうが、実行しているのは、円楽師匠のほかには、家元と春風亭小朝師匠くらいだと思います。

「名人」という名声を得てしまうと、どうしても、その地位を維持すること、つまりは、個人の芸だけに磨きをかけようと、あるいは現状を維持しようと奔走し、落語界全体に対する危機感のようなものは後回しになってしまいます。

落語だけではなく、どの世界でもそうですが、個人の地位を確保するあまり、組織あるいは業界のことが、見えなくなります。

逆に言うと、私心なく、落語会のことを思っている姿勢が皆に愛されたのでしょう。


方法論は違いますが、家元とて、思いは同じはず。

その家元も療養中で舞台に上がれません。

しかも、弟子である立川文都師匠が、円楽師匠と同じ日に亡くなったとのこと。

ショックは計りしれるものではありません。

家元の復帰が伸びなければよいのですが・・


本日のパパからのメッセージは、

「私心を捨てよ!世の中のために自分ができることをやろう!」

です。


そして、パパの「今日のよかった」は、

「深く文章と向き合った!」

です。