その307 リスクを伝え相手に緊張感を与えよう!
学生が山で遭難して亡くなったというニュースが入ってきた。
日本列島がこの秋一番の寒気に覆われたため、一気に気温が下がったことも命を落とした要因になる。
発見されたときは、低体温症による心配停止状態だったそうだ。
親子で登山中、「先に行く」と言って親とはぐれ、登山道を外れてしまったのだろう。
新聞の記事の一文を読んだだけで、その場面が映像としてリアルに想像できてしまうだけに、何とも心が痛む。
偶然が幾重にも重なり合った結末であろう。
「あのときこうしていれば」「もっとああしていれば」
ご両親にしてみれば、後悔してもしきれない心境であろう。
10歳の子供なので、山で迷ったときの術などしらなくても仕方がなく、誰も攻められないだけに、空虚さが残る。
もし、自分が同じように子供たちと山に行き、同じように子供から「先に行く」と言われたら、それを了承していたであろう。
きっと、他の親にしても、同様の態度をとることが多いのではないか。
せめて、この事故を教訓として、他に犠牲者が出なければよいと願うのみである。
山などの自然に向き合うときは、「無理をしないこと」が一番とよく言われる。
「無理」の度合いにもよるが、全く無理をしないのでは面白くない。
子供が親と離れて一人知らぬ道を進みたいという願いには、応えてもよいと思う。
少々のリスクを背負わせないと独立心が育たないからだ。
ただし、無理をさせてもよいが、リスクが発生したときのルールは決めておくべきだ。
「一人で歩くのは○分だけとして、○分たったら、その場で待っていること」
「人とすれ違ったら恥ずかしがらずに、道に迷ったことを告げること」
「道に迷ったら道沿いで動かずに待つこと」
「道から外れてしまったら、空が開けている場所を探してそこで待つこと」
いずれのルールも役に立たないケースに直面することはあるでしょう。しかし、これらのルールを事前にリスクとして意識させることが大事である。
具体的なルールが当てはまらなくても、「危険なんだ」という意識を植え付けるだけで行動に一定の制約をかけることができるような気がする。
小学生が気軽に登山できるような山に対して、「そこに危険が潜んでいる」とは、なかなか気がつかないものだ。
したがって、事前に緊張感を与え、「そこに危険が潜んでいる」と思わせなければいけないのかもしれない。
相手に対してあらかじめリスクを伝えて緊張感を持って作業にあたらせるというのは、登山に限らず、いろいろなことに当てはまると思う。
リスクを伝えることはヒントであって答えではない。
そのヒントから、降りかかるアクシデントから身を守るべく、自分の頭で様々なことを考えるだ。
緊張感の中でしか思い浮かばないことがある。
大人の役割は、相手に自分の中でいろいろなことを想定させるかの切っ掛けを作ることだと思う。
本日のパパからのメッセージは、
「リスクを伝え相手に緊張感を与えよう!」
です。
そして、パパの「今日のよかった!」は、
「久しぶりにゆとりある時間を過ごせた!」
です。