その308 規則を作ったら、それをどのように運用していくかに力を注ごう!
どうにも我慢ならなくて一言意見してしまった。
障害が出る都度、障害対策会議なるものを開催して対策を練らなければいけない。
これ自体は悪くない。
いろいろな人の視点で障害に切り込むのは良いことだ。
特に当事者だけで考えを巡らせても、事情が分かっているだけに切り込めない部分があるので、それを第三者の目に晒し、忌憚のない意見を伺うことによって、自分たちの目線を上げさせてくれる。
今日もその対策会議なるものがあったのだが、個別にはよい意見をいただき途中までは役にたつと思って、直接の当事者でないこともあって黙って耳を傾けていた。
しかし、仕様変更に関して、「他のセクションへの影響を調査してから受ける・受けないの判断をすべきだ」という意見を聞いて、現実離れしているなと感じた。
もちろん、モノにもよるが、システムには軽重があり、あくまでも本質的なところのシステムが稼働すれば、その他の従属的なシステム、例えば、統計的なデータであるとか、データマイニングのためとかというのは、黙って従うか、できなければ、それを取り込まない対応をすべきであると思う。
80%の部分が救われれば、それはもう、GOだと思う。
残り20%が致命的な影響を及ぼさなければ、ついてこられなくても仕方がない。
さらに、「規定上はそれが明になっているので、そもそも規定違反ではないか」などとのたまうので、カチンときた。
みんな規定を作るが好きだ。
規定を見直して、ルールを厳格にすればよくなると考えている人が多い。
はっきり言う。それは間違っている。
規定が不要とは言わないが、規定が機能していないのは、その規定が悪いのではなく、その運用の方法が悪いからだ。
なぜ、人が法律を犯さないのか。
もちろん信義則的な部分もある。というか、それが大部分を占めているとも思う。
しかし、一方では、皆、犯罪を犯すと量刑に処せられるということを知っており、それがために自分自身をコントロールできている部分もあると思う。
法律はそれを破ったときにどうなるのかという運用面がセットで考えられており、それが故に機能している。
ところが、組織の中のローカルな規定では、この運用面が軽視されがちだ。
というより、ほとんど何も考えられていない。
件の規定は、「仕様変更を実施するときは関係セクションの了解をとること」という趣旨が記載されている。
関係セクションの範囲が不明である。
誰が了解をとるのかがわからない。
そして、関係セクションの合意をとらないで仕様変更を実施したらどうあんるのかが記載されていない。
もし、本気で規則を順守させたいのであれば、懲罰規定も書くべきだ。
上司が責任をとるとか。
翌年の予算を削減するとか。
具体的に目に見えるペナルティが必要だ。
あるいは、懲罰規定は書かないまでも、○○委員会のお墨付きをもらわなければならないとか、仕様変更のハードルを上げる必要がある。
そもそもユーザ側の予算の割り当てのルールを変えるべきなのかもしれない。
モラルが欠如していると言われればそれまでであるが、現場の判断としては、少しでもユーザの要望に応えてあげたいし、顧客のためになりたいと思う。
この感覚を、障害=絶対悪と捉え、基本は受け入れられないような方向に仕向けるのは、どうかと思う。
そして、今回の規定に限らず、留意しなければならないと思ったのは、皆、規定を作ることばかりに力を注ぎ、それを運用するこ部分にあまりにも力を入れていないことだ。
もちろん罰則でなくてもよいので、規定・規則を作ったら、それをどのように運用していくか、真剣に考えることが必要だ。
特に、毎年のように改版されるような規定は、作った人以外はついていっていないので要注意だ。
本日のパパからのメッセージは、
「規則を作ったら、それをどのように運用していくかに力を注ごう!」
です。
そして、パパの「今日のよかった!」は、
「プレゼントを注文した!」
です。