その310 記憶からギャップを感じ、それを埋めるために何が必要か意識しよう!
誘ってもらっているうちが華なのか。
なんやかんやと、週1回くらいは酒宴のお誘いがあり、仕事が忙しかったり、稽古が溜まっていたりするが、ついつい参戦表明をしてしまう。
先週に続き、今週も忙しくて、家に着いたのはすべて夜の9時過ぎ。
なので、帰宅して、晩御飯を簡単に済ませ、ブログを書いて、風呂に入って、寝るという生活。
稽古まで手が回らないどころか、全くゆとりがない。
そのような状況でも、誘われるとホイホイついて行ってしまう。
先輩二人に誘われて、飲みに行くことに。
寮に住んでいたときには、よく遊んでもらったものだ。
職場関係での酒宴は、どうしても昔話になるか、体制への不満をぶち上げるかのいずれかになる。
後者に当たってしまうと、後味の悪さだけが残り、暫く酒宴も遠慮したいと思う。
なので、前者であればまだよい。
思い出を記憶から呼び起こすのも悪くはない。
そのときに何を感じ、何を思っていたか意識をするとおもしろい。
当時と現在とのギャップを感覚的にかもしれないが想起すると、ギャップを埋めるために何をなすべきかが具体化する。
今日の飲み会では、当時この人たちを見て「自分も後輩の気持ちを大事にする先輩になりたい」という思いが呼び起こされた。
翻って、今はどうか?
最近あまり後輩には優しくできていない。
自分に余裕がないのか?後輩にかわいげがないのか?
一つ言えるのは、寮という一つ屋根の下で、仕事が終わってからも一緒に過ごした間柄と、職場においてのみの付き合いでは密度が違うということ。
以前にも書いたことがあるが、経費節減から独身寮がどんどんなくなってきていることが、本当によいことかと思う。
独身寮で共に過ごすコアな関係が柱となり、寮に入っていない人をも巻き込み、ファミリー的な日本の企業風土を作りあげてきたのではないか。
まあ、そんなことを言っても、目の前にある事実は異なるで仕方あるまい。
現状から、どのように昔のよい部分を抽出して、今のよい部分と組み合わせるかが課題だ。
ファミリー的な精神をどう後輩に伝えていくかは、我々の世代が考えねばならないことだ。
パパの先輩はどうだったのか?
包容力と未知なる情報。
この2つが先輩として求められるものだったように思える。
本日の酒宴(思い出語り編)で発見した未来へ繋がるキーワードはこれだ。
本日のパパからのメッセージは、
「記憶からギャップを感じ、それを埋めるために何が必要か意識しよう!」
です。
そして、パパの「今日のよかった!」は、
「深酒せずに心地よい時間を堪能できた!」
です。