その320 気になるデータがあれば、仮説をたてて定点観測をしてみよう!

何でもコンピュータで管理をする時代だからこそ、そのデータをどのように解析・利用するかのセンスが問われるのだと思う。

今、どの企業も、大小の差こそあれ、何でもかんでもデータベースの中に情報をぶち込んでいるように思えます。

その情報の中には、使い道のないものも多く混ざっているのが現状でしょう。

システムを作る側からすると、ユーザに「この項目は提供が必要ですか?」と聞くと、十中八九「念のため提供しておいて」という回答となる。

提供データに項目を追加するということに対して、あまりコスト意識がないせいか、作り手も「ユーザの要望だから」という理由で、これをたやすく受け入れてしまいがちだ。

しかし、グーグルのような解析能力に優れた企業ならいざ知らず、一般的な企業では、この「どんぶり感覚」が仇となりかねない。

蓄積されたデータは、ほとんどがゴミとなる。

安価になったとはいえ、サーバなどに蓄積され、1円の価値も生まぬまま放置される。

それがあっても、悪さをするわけではないので、ほとんどの場合が手つかずのまま残ってしまう。

そこまでなら、まだなんとか許せる。


しかし、稀に面倒の火種となる。

オープンシステムの流れの中で、ちょっとPCに詳しいユーザがデータを使いたがる。

そんなユーザが、項目名を見て「これは使えそうだ」とほくそ笑む。

ところが、そのデータは、ユーザが思ったとおりの編集内容ではなく、とても彼を満足させるものではなかった。

そして、そのユーザは、「こう編集すべきだから改善して欲しい」という要求をつきつける。

もちろん、断ればよい。

が、たまたま相手方に、負い目があったり、偶然にも予算が余っていたりしたら、この本末転倒な要求を受けてしまう。

これは罠である。

この先、この不能な項目について、ずっとお守りをしていかなければならない。

要求してきたユーザが、この項目を活用して、企業に利益をもたらしてくれればよいが、大抵は自己満足的な資料を整理するためのもので、目的を果たしてしまえば、その後は再び放置状態が続く。

そして、一度、システム改善された項目は、「不要」という判断が二度とできなくなって、そのシステム自体が消滅するまで、半永遠的に累積されていく。


もっと、必要な項目について真剣に議論すべきだと思う。

レコードが延びれば、そのレコードを使用するプログラムを改造する際に、必ず影響が出るし、テスト等のメンテナンス費用がかかる。

ユーザだって、項目が多すぎれば、本当に必要な項目を見落としてしまう可能性がでてくる。

なので、ユーザに提供する項目は必要最小限にすべきだ。

十分に検討を重ねて、提供項目を決定する。

もちろん、この選択の過程にはユーザにも入ってもらい、ありとあらゆることを想定する。

そのうえで、項目を決定すれば、企業にとって有益に活用されるであろう。

「なんとなく必要そうだから」というのではダメだ。

シュミレーションの過程で理由が明確にならないものは、ばっさりと切り捨てよう。

万が一、後で必要になったら、その時点から累積をはじめればよい。

最初に用途が思い浮かばない項目なんて、所詮、そんなもんだ。


ところで、冒頭の話に戻るが、世の中には、データ解析について実にセンスのよい人がいる。

その手の人にかかると、クズに思えたデータもダイヤモンドのような輝きを帯びる。

閃きなのか?

実はそうでないらしい。

頭の中で、様々なシュミレーションをして、日常のちょっとした気付きに対して、データによる裏付けをする癖を持っているのだ。

そして、仮説をたてて定点観測をして、実証する。

良く考えたら、理系の研究をビジネスにあてはめているだけだ。

しかし、これができている人が少ない。

みんなでこの癖をつけて、それぞれのセンスでデータを解析するような組織であれば、将来は明るいように思える。

せっかく、簡単にデータが手に入る世の中だ。

センスを身につけたいものだ。

そして、システムの作り手の立場として、初期の段階でデータを選別して、みんなにより有効な資源の活用を促したいものだ。


本日のパパからのメッセージは、

「気になるデータがあれば、仮説をたてて定点観測をしてみよう!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「つまらない真実を知った!」

です。

Why?

→ 例え気分が悪くなっても、自分ではいかんともしがたい事実なので、それとうまく付き合っていこうという思いに至ったから。