その321 既成概念にとらわれることなく、自らの手で問題を解決していけばよい!
朝日新聞の「定義集」という大江健三郎氏が書いた記事を読みました。
「未来をつくるブリコラージュ」という題で、大江氏の日常にあるブリコラージュ=器用仕事から、核廃絶に展開する見事な記事でした。
調べてみると月1回の連載のようで、ここのところ自転車通勤だったこともあり、新聞に向き合い時間がなかったので、全く気がつきませんでしたが、新聞をくまなく読むと、余計な出費をして雑誌などを買わずとも、このような秀逸の記事に出会えることに今更ながらに気がつきました。
「レヴィ=ストロースの死を告げる記事を読んだ朝、・・・」で始める書き出しは、知的好奇心をくすぐります。
その名は、最近、新聞でその死亡が伝えられるまでは存じ上げませんでした。
いや、これまでも、きっと、どこかで目に触れていたり、記事を読んでいた可能性がありますが、記憶に残っていなかったのです。
構造主義の本質を見極めるために、若き日の大江健三郎氏が出会った言葉が「bricolage(ブリコラージュ)」であった。
仏和辞典で調べると
1 (家庭内などの)修繕
2 応急処理
3 器用仕事(一貫した計画によらず、有り合わせの素材、道具を適当に組み合わせて、問題を解決してゆく仕方)
とあるようです。
大江氏は、この器用仕事について、父親から受け継いだ工具箱をフィルターとして、自分の息子との関わりを綴っています。
息子のため、大きい赤じまのスカートのカエルの古い常夜灯を失敗を繰り返しながら修理をして、ようやく直ったときの柔らかい光を見つめる息子の姿に、「大切なこと」と感じています。
自分がなぜ、器用仕事に夢中になるかを模索すると、そこには、「通時的な歴史感覚とは別のものに目を見開いてくれる力の影響力がある」ことを感じます。
そして、ここから、この記事はダイナミックに展開していきます。
この「器用仕事」の記憶とオバマ大統領のプラハでの演説が一本の線になって繋がります。
すなわち、「核廃絶」という問題を「通時的な歴史感覚とは別の視点」でとらえようとしているのです。
核兵器を廃絶するということは、スクラップにして廃棄処分にするというたやすいものではありません。
安全性を確保したうえで、相当な手間ひまをかけて行う大仕事です。
大江氏は、これを市民たちの持っている技術と道具を持って実現することを夢想しています。
その市民の動きが衛星放送により全世界げ中継され、やがて世界中のに二万個あるという核弾頭を、ひとつづつ、すべて壊すことを本気で考えているのです。
お仕着せの方法ではもはや何も変わらないと悲観しているのでしょう。
その一方で、草の根の力には本気で希望を抱いているように感じました。
そうなのです。我々は、一昔では考えられないほど、いともたやすくあらゆる情報を入手できるのです。
核を廃絶するのは、政府の仕事であるという概念を捨てされうような、コペルニクス的転換があるのかもしれません。
正しい情報という武器を携えた市民達は、無計画に、あり合わせの道具を使って、次々と難しい問題を解決していくことになるでしょう。
さあ、大江氏の思いを実現できる環境は整った!
本日のパパからのメッセージは、
「既成概念にとらわれることなく、自らの手で問題を解決していけばよい!」
です。
そして、パパの「今日のよかった!」は、
「雨が降ってよかった!」
です。
Why?
→ 新聞をじっくり読めたから。