その326 英語力とIT力を前提として、答えのない問題について考える訓練をしよう!

朝、小雨が降っていたので、ランニングを中止(内心ちょっとラッキー?)し、テレビをつけたら、NHKで立花隆氏が中学生を相手に話をしていたので、見入ってしまった。

「シリーズ未来をつくる君たちへ 第2回 勉強ってなんのため? 〜立花隆が語る「緒方洪庵」〜」という番組である。

立花氏が中学生を相手に熱く語る。

「世界は加速度的に変化しており、これから10年先のことなどわからないのだから、「将来なりたいもの」など、わからなくて当然だ」という言葉に、中学生たちは一瞬安堵の表情を浮かべる。

「しかし、将来が見えないからこそ、しっかりと勉強する必要がある」という趣旨の言葉に、教室が緊張で包まれる。

江戸時代、緒方洪庵が開いた適塾では、意図的に蘭学の基礎しか教えずに、その後、何を学ぶかは塾生たちが個々に考えたとのことだ。

1冊の辞書を奪い合うように切磋琢磨し、型に、はまらなずに個々に何を探究するのかを妥協なく追及した結果が、明治維新の活力となった。

適塾の塾生であった福沢諭吉は、自分が枕を持っていない(所有していない)ことに気がつかなかったそうだ。

布団で寝る間も惜しんで勉強していたため、枕を必要としなかったようである。

夢中になって探究するからこそ、得られるものがある。

夢中になれるものとは、試験問題のようにあらかじめ答えが用意されているものではない。

なので、試験のための勉強は大事ではない。

「これからの時代は、答えのわからない問題に答えられる能力が求められているのだ」と立花氏は力説する。

そのためには、世界の潮流を見極めることが必要である。

しかし、現代は、世界の流れに無関心な人が多すぎる。

まるで第3の鎖国状態であるとも。


司馬遼太郎氏は鎖国を「暗闇」と捉えた。

それでも、江戸時代の鎖国政策、つまり第1の鎖国時代にも暗闇の中にわずかに差し込む光があった。

それが、唯一海外との交易が許された長崎の出島であり、そこから入ってくる蘭学から西洋文明を理解し、取り入れる努力をした洪庵らが居たからこそ、急激な時代の変革が可能であった。

そして、第2の鎖国は、戦時中、海外からの情報が統制された中、庶民は軍部の発表を信じるしかなかった。

その中にも実は光はあった。

短波放送がそれだ。

電波は規制できるはずもなく、ラジオさえあれば、諸外国の発する情報を捉えることができたのだ。

残念ながら、庶民にラジオを所持できることが許されず、光は完全に閉ざされたかに見えた。

しかし、昭和天皇だけは例外であり、戦争中、短波放送から諸外国が発する戦況を掴んでおり、それが故に、戦争終結の判断ができたとのことだ。

もし昭和天皇が暗闇の中で光を見出せることができずに、軍部の強硬な姿勢に屈していたら、今の日本という国は存在していなかったであろう。

わずかな情報の中から、正しいものを見極め、来るべき未来にとっての道筋をつけておく。

洪庵たちの姿勢と同種のものを感じる。


そして、今の時代である。

マスメディアに限らず、インターネットの世界では情報が溢れている。

この時代をなぜ第3の鎖国と呼ぶのか?

それは、世界に関心を持たずに、閉じこもった世界に居る人があまりにも多いからだと立花氏は言う。

たしかにそうだ。

個人に関わるようなことであれば、必要以上にその権利を主張するも、それ以外のことには皆、あまりにも淡泊だ。

「何を知るべきか?」ということがわかっていない。

情報で覆い尽くされた暗闇にいるのかもしれない。

その中から、どうやった差し込む光を見つけ出すべきか。

立花氏は、英語力とIT力だと力説する。

日本語で得られる情報と英語で得られる情報では天と地ほどの差がある。

まずは、情報の裾野を広げて、Googleなどが提供するIT機能を使いこなして、答えのわからない問題に対して答えられるだけの訓練をしなければいけない。

どうやら、これからの時代は、英語とIT能力が前提となるらしい。

気をつけなければいけないのは、これらがゴールではないということだ。

英語とITを屈指して、暗闇から差し込む光を見出し、次の世代の人たちに何かを残そうではないか。


本日のパパからのメッセージは、

「英語力とIT力を前提として、答えのない問題について考える訓練をしよう!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「ランニングに行かなくてよかった!」

です。

Why?

→ 英語への関心がつよまったから。