その327 当初の思惑が実現しないと悟った時に柔軟発想に切り替えよう!

がんばっている人を見ていると、自分もがんばらなければと思う。

時間がないというのは言い訳であり、世の中にはもっと忙しい人、難しい課題にあたっている人がいる。

こんなに時間があって、こんなに優しい課題をできないのは、自分への甘え以外の何ものでもない。

まず、予想外の残業はあるものの、組織内を見渡しても恵まれているほうであるし、ましてや他企業との比較では、贅沢とさえ言われてしまうような勤務体系なのかもしれない。

定期的な仕事というのは、リズムが作りやすくなるので、仕事以外のことがしやすくなる。

突発的に休日出勤となることもあるが、基本的には土、日、祭日は休みだし、有給休暇だってほぼ希望通りにとれる。

家事だって、一人分なので、そうそう時間はかからない。

誰がどうみたって時間はある。

なので、ブログを書いて、稽古をする時間くらいは、十分とれるはずだ。

ちょこっとテレビをみたり、本を読んだりする時間だって確保できる。

ところが、現実は、うまくいかない。

どの作業にどれくらいの時間をかければよいのか、まるで計画性がないためだと思う。

昨日もずいぶんとだらけてしまった。

目標とする作業まで至らずに、就寝モード。

敗因は、読書の時間がかかりすぎたこと。

フォト・リーディングを使わずに読み始めてしまい、結局、最後までノーマル・リーディングで通してしまたことが敗因。

今になって気がついたのだけれども、時間が押しているのはわかっていたのだから、途中からでもフォトリに切り替えるべきだ。


ただ、なぜか、物事を途中から異なる方法に変更することが苦手だ。

いこぢになってしまうというか、意味のない気持ち悪さを嫌っての行動でしかないのは、理解しているが行動が伴わない。

ここらあたりを柔軟に変更できるようになりたい思う。

スタートの時点で最良と思った方法が必ずしもベストでないとわかったとき、別の方法を選択すべきなのに、ついつい変化をさせない。

今回の読書に限らず、普段の仕事、諸作業等も科学的な実験ではないので、同じ方法を続ける理由はない。

その時点、その時点でベストと思う方法を選択すべきだ。

一貫した方法をとることは、楽ではあるが、必ずしも生産性はよいとは言えない。

別の方法をとって、ダメだったら、また元に戻せばよいというくらいの気軽な気持ちで臨みたい。

柔軟な発想は、その方法自体を変えたときに出現するのかもしれない。


当初の思惑なんて実現しないものだ。

ということを前提にしてしまえばよい。

どうせ、思い通りにいかないのだったら、その時点でのベストな方法を選択して、どんどん試していってみよう。

何に関しても状況に併せていくつもの型を持っていることを目指したい。

昨日見た、NHKの立花隆氏の番組で紹介されていた江戸末期の適塾の塾生たちではないが、「弛まぬ努力」をしなければならない。

学びたいことは、まだまだ尽きない。

アウトプット力を高めることにより、インプットを増やしていきたい。

情報社会で埋もれずに光を見つけるために、計画的に、そして無駄を省くような方法を柔軟な姿勢で勉強していこうと思う。


本日のパパからのメッセージは、

「当初の思惑が実現しないと悟った時に柔軟発想に切り替えよう!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「1週間ぶりに走れた!」

です。

Why?

→ 1日のリズムができたから。