その329 雨の日に傘をささずに外に出てみよう!きっと普段とは違うものが見えるはず!

朝、小雨が降っていたが自転車での通勤を敢行した。

昨晩の天気予報では、1日雨のイメージであったが、低気圧が日本列島を抜けるのが予想より早かったらしく、午前中に雨がやみ昼からは晴れるとのこと。

時間軸で考えると悪くない天気であるという感情が支配すると、ピンポイントでしか行動をしないくせに、ポジティブに考えてしまう。

ロジカルに考えれば、家を出る時点における空模様から判断をして、自転車通勤をすれば、ずぶ濡れで事務所に到着するのは理解できているのに、その先の時間軸、つまり、「午前中には雨がやんで晴れ間が見える」という、自分には関係のないシーンも込めで、なんとなく自転車通勤をする決断をしていた。

われながら感情とはおもしろいものだと思う。

例えば、「晴れ間が見える」という予報がなかったら、自転車通勤はしなかったと思う。

自転車で行こうと決断をする数秒前に、一瞬、晴れ渡る空の下、自転車を漕いでいる自分の姿をイメージしたのだ。

何かの判断を迫られるときに、絶対実現しないはずのシーンが脳裏によぎると、それも遠からず、決断に作用してしまうものかもしれない。

それが、たとえ現実のものではなくても、その心地のよい映像に引っ張られてしまう。

ようは、部分的な判断の前提となる、全体的な気持ちの方向性が、個々の判断に影響を及ぼすということだ。

簡単な話、同じ要求を受けたとしても、そのときの気分がよければ快諾する一方、気分が乗らないときは重箱の隅をつつくように粗を探してお断り申し上げるのと同じだ。

人によって多少の差はあるものの、所詮、人間は感情に支配される動物である。

もちろん、感情を排し、論理的な判断をし続けることができればよいと思う。

しかし、それではつまらない。

多少、自分でもバカをしていると自覚をするくらいのほうが楽しい。

もちろん、他人に迷惑をかけない範囲である。(これは、論理的判断というより道徳的判断に基づく。)

今日、雨の中、河原を走ると、当たり前であるが、人はほとんどおらず、雨で霞む先が幻想的にさえ見えた。

雨が降っていない日では、決して味わえない景色。

バカをやると、日常では味わえないものに出会えるのがよい。

視界の先を見渡す限り、誰もいない空間など、都会ではなかなか味わえないものだ。

雨の日は雨の日のよい点があるものだ。

ただ、普通はそれを見ようとしない。というか、見に行くという発想にすら至らない。

論理的思考にばかり頼ってしまうと、バカをしなくなる。

しかし、たまにはバカをやってみるのもよいものだ。

予想外の事態に遭遇し、それを克服するための思考が働く。

日常とは異なる学習ができ、常識の中に居る時よりも、成長モードが強くなるような気がする。


なお、ひとつ大事なことは、バカをやるときでも、無鉄砲ではいけない。

バカをやることによって、後悔をしないための準備はするべきだ。

雨具を着たり、着替えを用意したり、いつもよりスピードを控えたりと、保守的なバカになることだ。


そして、今日はもうひとつ、バカの仕込みをした。

アラフォーのおっさん5人で、6時間耐久リレーマラソンにエントリーした。

http://iikoto-6hours.jp/index.shtml

中には、ランニングとは無縁の奴もいたするが、ノリで決断したらしい。

リレーという仲間を想起させる言葉に何かを感じたのかもしれない。

まあ、タイムを競うものではなく、皆で1本のタスキを6時間繋ぐという、お祭りなので、無理をせずに仲間みんなでがんばってみたいと思う。


本日のパパからのメッセージは、

「雨の日に傘をささずに外に出てみよう!きっと普段とは違うものが見えるはず!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「雨が降っていても自転車で通勤してよかった!」

です。

Why?

→ 雨の日に準備をしなければいけないことがわかったから。