その341 ブログの力を信じよう!

ブログの使い方は難しい。

阿久根市長のブログが波紋を呼んでいる。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20090210-154510/news/20091203-OYS1T00198.htm

人の命を軽んじた発言であり、公人としてのものとは思えないというのはもちろんであるが、ブログの使い方を誤っているように思える。

「無名のななしさん」が、好き勝手に自論を展開するのではなく、市民の代表と選ばれた人なのだから、線引きをするくらいの分別はつけて欲しい。

高度医療が目指すべき方向が、その医療の施しを受けなければならない人たちなのは判りきっているわけではないか。

きっと、身近に障害者の方がいなかったのだろうか。

極端な話、高度医療という意味では高齢者も同じなので、身近な人に置き換えて考えてみれば、とてもあのような記事は書けないはずだ。


聞けば、これまでも、市の職員の給与を公開したり、市会議員の不人気投票を行ったり、2ちゃんねる的な記事を書いていたとこと。

実名のブログで、あらゆることに対して自論を展開することについては、もちろん否定しない。

一個人の発言に責任を持つという意味では、実名のブログのほうが望ましいと思う。
(パパは、万が一にも君たちに迷惑がかかるといけないので、実名は避けていますが・・)

しかし、選挙で選ばれた公人であれば、生命を軽んじるような発言や、特定の個人を貶めるような行為をしてはいけないのは自明の理であろう。

「選んだ有権者にも責任がある」のではなく、選んでいただいたのだ。

公僕であることを忘れてはいけない。

職業に対する誇りを持てば、自ずと責任感が生まれるはずで、責任を全うしようとすると、軽率な発言はできないはずだ。


この市長は、公僕であるという意識が欠如していると言わざるを得ない。

ブログという表現手段を用いれば誰でも評論家になって見ず知らずの人と共感できるが、その反面、無防備な見ず知らずの人を傷つけてしまう、もろ刃の刃だ。

ミッション・ステートメントと同様、ブログにも確固たる信念があってしかるべきだ。

目的を明確にすれば、掲載する記事の取捨で迷うことはないであろう。

正しいブログの使い方を目指したいものだ。

そして、いつの日にか、君たちに巡り合って欲しいと思う。

そのときに、笑われないように、文章もうまくなりたいし、しっかりした考え方を身につけたい。


離れていても、心が繋がることができるとすれば、ブログは何とも素晴らしいツールでないか。

ブログで心が救われるとすると、これは一つの可能性だ。

楽しいブログもあり、悲しいブログもありだろう。

それぞれのミッションの達成のために。

ただし、使用法には注意すること。


本日のパパからのメッセージは、

「ブログの力を信じよう!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「北風に向かって走れた!」

です。

Why?

→ 辛く、悲しいことに立ち向かうことへの勇気が湧いてきたから。