その345 企業の利益と社会貢献を切り離して考えよう!

企業の文化・スポーツ活動からの撤退が相次いでいる。

トヨタのF1撤退に代表されるように、大企業がスポンサーから下りている。

昨年のリーマンショックから立ち直りつつあるとは言え、先行きが不安なので致し方ないとも思う。

事業存続のために利益はなるべくプールすべきというのは、至極当然だ。

しかし、社会貢献という観点からすると、本当に仕方ないと諦めてしまってよいのだろうか?

企業の本質は、その商品やサービスの対価として、利益をあげることにあり、利益を多くあげた企業に称賛が浴びせられる。

それは、一見正しい。

しかし、資本主義の限界が見えた現在、利益至上主義だけでは、なかなか世に認められないような気がする。

そもそも、日本では社会貢献に対する意識が、与える側の企業だけではなく、与えられる側の消費者というか市民に少なすぎるように思える。

利益を追うだけではなく、社会に貢献するようなことをしてこそ、皆に尊敬される企業ではないか?

ただ、この評価は、数値として現れないので、非常に難しく、受けてとしての評価を下しにくい。

なんというか、社会貢献を売上向上の施策として実施する限りは、無理がある。

社会貢献は、社会貢献だ。

ボランティア精神を個人のものと決めつけるのではなく、もっと企業が腰を据えて取り組むべきだ。

現在、ボランティアの世界は、個人が中心であり、その個人の偉いところは、個人の収入の増減に関わらず、そのボランティアを続けるところにあると思う。

一方、企業はどうかというと、利益が落ち込んだ瞬間に、いとも簡単に不採算部門であるボランティアに関する分野を容赦なく切り捨てる。

日本が特殊なのかは不寄りこんでであるが、企業の社会貢献に対する評価については、もっとしっかりした目を持たなければならないと思う。

東西冷戦が終結し、資本主義が、共産主義に勝利したとして、事実を語ることはやむを得ないが、共産主義なり社会主義の本質を見極めのないまま、別の要素で、せっかくのサービスが社会的評価を得ないまま消えていくのは厳しい。

人が相互に助け合う社会を作りたいものだ。


具体的に何をすべきではなく、まずは、社会貢献をしている企業は偉いんだということを、社会に流布しようではないか?

その先にあるものを目指さずに、空気のように社会貢献をしてみよう。

企業から個人へのシフトは、あらゆる分野で、日本と得意とするところだろう。

社会貢献している企業を応援したいものだ。


本日のパパからのメッセージは、

「企業の利益と社会貢献を切り離して考えよう!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「パーティーが楽しかった!」

です。

WHY?

→ 美味しい食べ物と、美味しいお酒と、楽しい会話があったから。