その346 祭りの余韻に浸るな!

酒宴は楽しいが、その反動で翌日に寂しさを感じる。

平日であれば、職場に行って仕事に集中できるのでよいが、金曜日の宴会の場合だと、週末を一人で過ごさなければならず、寂しさが募る。

宴会に対する気持ちの持ちようで、興奮度合いを抑えなければよいのだろうが、瞬間瞬間の快楽を優先させるあまり、はしゃぎすぎてしまう。

昨年は、まだ自分の立ち位置がはっきりとせず、過去を振り返ってばかりいたり、今にして思うと到底実現が不可能なことの算段をしていて、宴会を楽しめる雰囲気ではなかった。

というか、昨年の忘年会に関する記憶が全く残っていない。

それに対して、今年は、自分自身の気持ちも昨年よりは前を向いているため、新しい友人と出会えたこともあって、それぞれに印象的だ。

新しい友人たちとの会話は、自分の知らない知識、情報を得られるし、これまでにない掛け合いもでき刺激を受ける。

もちろん、気のおける仲間との会話も、自分ポジションを探すことなく楽しめるのでよい。

どちらにしても、結果、はしゃいでいるつもりはないのだが、ふと一人に立ち返ったときのギャップを感じる。

例えば、昨日あれだけ喋ったのに、今日は誰とも会っておらず、結果、一言も話をしていない。

非日常的な時間を味わってしまうと、普段の地味な1日が楽しめない。

本来、そんなことはないはずだ。

ついこの間まで、天気のよいだけで得をして気分になっていたし、コーヒーを美味しく淹れることができるだけで幸せだった。

ソファに腰掛け、お気に入りのクリスマスソングでもかけ、心行くまで本を読んでいるような1日に憧れてさえいたはずではないか。

そんな地味な1日こそ、今後将来にわたって長く付き合っていかなければならないので、大事にしなければいけない。

本当に些細なことから幸せを見つけ、喜びを感じるような癖をつけないと、派手なものを追いかけるような生活になってしまう。

刺激的なイベントを否定するつもりではなく、それが終わったら、すぐに自分のポジションに帰ることを意識しなければいけないということを痛感する。

「あのとき楽しかった」とか、「あれはどういうことなんだろう」とか、意識が過去に遡っている時間帯ができている。

目的があれば別であるが、そうでなければ目線は、現在からそれほど遠くはない未来あたりに落としておくべきだ。

やらなければならないことは、まだまだある。

今日やるべきことに集中して、達成したときの喜び、休憩しているときに見る空の色に、何かを感じよう。

祭りは非日常なのだ。

本分は日常をどう気分良く過ごしていけるか。

なるべく、平坦に生きるようにこころがけよう。

例えば、部屋に帰ってきてPCの前に座ったとき、いつでも、自分のポジションに立ち返ることができるようにしたい。

何度も書いてきたことだが、立ち返る場所は「ミッション・ステートメント」だ。

画期的に、ミッションが達成できてしまうことなどない。

進捗が目に見えてわかることも少ないであろう。

それでも、しっかりと軸を持って取り組みたい。

小さなことを、コツコツとこなしていく生活が基本であることを忘れないようにしよう。


本日のパパからのメッセージは、

「祭りの余韻に浸るな!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「思い切ってお願いをしてみた!」

です。


ミッションを達成するためには、「動かなければ何も変わらない」と、昨晩の酒席で、友人が酔いながら語っていた。

やってみなければ何も変わらないのであれば、とりあえず動いてみよう。

結果、何も変わらないかもしれない。