その348 形式的な世界の中でも目的を明確にすれば何かが伝わるはずだ!

職場の机に資料がうず高く積まれている。

50人以上を相手に、2時間30分の研修を行うにあたり、資料作成に苦労をした。

資料を返却するのも億劫になるほど、いろいろな資料を読みこみ、自分自身も勉強になった。

それにしても、相手に何かを伝えるのは難しい。

経験上、表面的なことばかり語っていても、聴いているほうは辛い。

話に起伏を持たせるというか、物語を潜ませて、ときどき教科書的なところから引き上げないと、飽きが来る。

少人数ならば、それぞれの意識のある場所に対峙をして、相手の呼吸に合わせながら話をすすめていけばよいが、大人数だと、こちらが用意したレールにうまく乗せてあげないと、まず、ついてこない。

本質的なところでは大抵退屈なものだ。

その退屈に付き合うだけの意欲をもった聞き手は、あまりいない。

なぜならば、大抵は自分の利害とは無関係だから、本音のところでは、関心がないのだ。

ただ、上から言われたとか、なんとなくとかという理由で、関心のあるふりをしている。

そういう受講生に向かい、一つでも、二つでも、役に立ったと思わせることができればよいと思う。


何を与えることができるのか?

自分でもわからない。

歌を歌うわけではなく、詩を朗読するわけでもない。

それでも、2時間30分も講義に付き合ってくれるのだから、一生懸命に何かを伝えたい。

まずは、スピード感をもつこと。

展開をはやくしつつも、ポイントを明確にしておけば、そのポイントだけでもおさておくことだろう。

そして、下世話かもしれないが、他社との比較や、将来の課題などを散りばめておくと、みなが一般論として聞き耳を立てるかもしれない。

これをおりまぜつつ、多少過激なことをまぜておくと、共感するか、反感するかはわからないが、そこにのってくる確率が高くなる。

そして、あとはワークを実践してもらう。

2時間30分もただ椅子に座っていたのでは、だれだって飽きてくる。

制限時間内に何かを実践しないといけないという、ストレスを与えることにより、脳にほどよい緊張感を与える。

そのとき、大切なのは、ストレスを与えすぎないこと。


体験は、成功させるために実践するのであって、挫折感を味あわせるために実施するのではない。

何かを乗り越えた達成感を共有できれば研修は成功だ。

次の機会へ繋げるためには、幸せな気分に浸った状態で講義を終了しなければならない。

エピローグは、明るいほうがよい。

軽やかに締めくくれるよう、明日はがんばろうと思う。


本日のパパからのメッセージは、

「形式的な世界の中でも目的を明確にすれば何かが伝わるはずだ!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「余計なことをして失敗したという経験ができた!」

です。

Why?

→ もっと大事な局面において慎重に行動できるかもしれないから。