その362 セレンディピティで行こう!

ついにブログの更新が途絶えてしまった。

忘年会が盛り上がり、朝の5時くらいまで飲んで、それから少し雑魚寝して、9時くらいに起きて、朝ごはん食べて、また昼近くまでお喋りしてと、こんな感じだったので、途中まで用意してあったブログの更新をする暇がなかった。

まあ、それだけ忘年会が楽しかったので、よしとしよう。

たまには、こんな日があってもよい。

決して生産的な会話ではなかったかもしれないが、後味の悪さは微塵もなく、心地のよい空気が漂う。


この人と一緒に居ると周りの空気が和むという人がいる。

セレンディピティな雰囲気を持つ人が1人いると、その人が回りによい影響を与えるのであろう。

否定、批判、ねたみなどの負の感情のない状態で自然に振る舞うことができれば、なんとも素晴らしいではないか。

来年の目標とは言わず、これは今からすぐに実行しよう。

もちろん何でもかんでも、素直に信じるというのではなく、批評家精神は持ち合わせなければならないと思う。

ただ、それは自己の内面で持つべきものであり、他者への振る舞いにおいて批評家である必要はない。

どんな相手に対しても決して大上段に構えないこと。

決してかしこまりすぎる必要はないが、できるだけ言葉づかいは丁寧に。

フランクさは言葉そのものではなく、態度で表したほうがよい。もちろん砕け過ぎない程度に。

知識を押しつけたり、情報をシェアすることの前に、他人に対する振る舞い方をきちんとしたものにしたい。

極端な言い方をすると、セレンディピティな態度を身につけている人には、自然と知識・情報が集まってくるので、背伸びして何かをひけらかさずとも、十分ことがたりるのであろう。

そして、その集まってきた知識を自分の思考で整理をしたうえで、流れの中で発信をこころがければよい。


リーダーは自分の考え方を示し、それを多少強引でもよいので、きちんとオープンにすべきである。

この考え方自体にブレはない。

セレンディピティは決して受け身なだけではない。

ときには主張も必要だ。

ただ、主張する部分にばかり重きを置いてしまうと、「振る舞い」がぎくしゃくしてしまうので、注意したい。

態度と内容を分離すること。

優先すべきは、人としての態度に磨きをかけることである。

当たり前ではあるが、コンピュータを相手にするのではなく、人間を相手にするのであれば、ある程度感情は見抜かれるものである。

であれば、よい感情の状態を全面に押し出すように意識をしたい。

よい感情には、よい感情がこだましてくるものなのだ。


本日のパパからのメッセージは、

セレンディピティで行こう!」

です。


そして、パパの「今日のよかった!」は、

「ブログの更新が途絶えた!」

です。

Why?

→ 来年こそ毎日更新するという目標ができたから。