その363 アラを探すのではなく、ためになるもの、感動するものを探そう!
師走の乾いた空の下、いつもよりゆっくりと走る。
だんだんと日が傾き、青かったはずの空がだんだんとオレンジ色を帯びてくる。
土手下のランニングコースから、土手上のサイクリングコースを見上げると、軽快なスピードで走るロードバイクが夕日に照らされ影絵のように動いていく。
いつも走るは朝早く一人で走るコースを友人たち4人で走った。
この1年間は辛いこともあったが、最後に爽やかで気持ちのよい時間を過ごせたことを思うと、それほど悪くなかったのかもしれない。
つくづく、自分という人間は、人に支えらて生きているのだと思う。
古い友人との交流が深まり、新しい友人との交流がはじまった、2009年であった。
もう少しがんばらなければいけないと感じた時、誰かの応援や励まし、優しさがあったからこそ、乗り越えることができた。
それは直接の声ではなく、実際に目に見えるものではなかったかもしれない。
しかし、それは確実に作用する。
人の態度・振る舞いを自分なりに解釈して、自分の行動に良い影響を与えるよう利用するのはよいことだ。
数値的に人と比較をして優劣を競うことはどうかと思うが、「あの人が頑張っているから自分も頑張る」というような曖昧で都合のよい解釈のもと人と比較をしてパワーを貰うのだ。
これは生身の人間からだけではなく、本やテレビからの影響でもよいと思う。
外からの刺激を自分の内でどのように昇華させるか。
人の成長はこの連続であるように思う。
自己の考え・忍耐力には限界があると心得なければいけない。
生物の進化は、外部環境の変化に対応するために内部に起こった小さな変化の積み重ねである。
日々変化・進化をするために、積極的に外の情報を吸収し、そこから自分にないものを取りこむようにしたい。
1日1個でも、2日に1個でもよいので、外からの学びができれば、どれだけ成長するであろう。
アラを探すのではなく、ためになるもの、感動するものを探そう。
そして、焦らずに、ゆっくりとゆっくりと成長していきたい。
そう。肯定的な生き方をすることが楽しいのだ。
楽しんで生きていれば、自ずと楽しいことが引き寄せられてくる。
これからも辛いこと、苦しいことが次々と現れるであろう。
でも、それに屈してはいけない。
辛く、苦しんでいるのは自分だけではない。
後で酒でも飲みながら友と語らうために、せいいっぱい立ち向かいながらも、笑っていよう。
笑う門には福来る。
そのことが、ちょっとだけわかったような気がする1年であった。
本日のパパからのメッセージは、
「アラを探すのではなく、ためになるもの、感動するものを探そう!」
です。
そして、パパの「今日のよかった!」は、
「楽しく運動ができた!」
です。
Why?
→ 運動の爽やかさを友と共有できたから。