その365 マイナスな結果をすぐに評価する必要はない!
穏やかな元旦であった。
「東日本では大荒れの模様」という天気予報は、ここには当てはまらなかったようで、風邪は冷たいものの気持ちのよい1日であった。
元旦の午前中からジョギングをする奇特な人は少ないらしく、川沿いのランニングコースはすれ違う人もほとんどなく、実に爽快であった。
亜脱臼をした肩、駅伝大会で痛めた膝もようやく痛みが消え、五体満足というものがこんなにも素晴らしいものなのかと思う。
(肩はまだ完治しておらず、予測しない動きを強いられるときには痛みを生じることがある)
当たり前のことであるが、体が不自由なく動くことに感謝をしたい。
世の中には、自らの意志とは関係なく、体が思うように動かない人もいるのである。
比較ではないが、自分が恵まれているということを忘れてはいけない。
そのうえで、今抱えている問題が、体が動かないことと比べて、どれだけちっぽけなことなのかと俯瞰して欲しい。
自分は恵まれていると、どこかで思えることで気持ちが前に向くはずだ。
今回は体が自由に動くことを例に出したが、これは一例であって、何でもよいと思う。
ママの子に生まれてよかった、日本に生まれてよかった、人間に生まれてよかった・・
捉え方は自分次第だ。
君たちと離れて、パパも「自分はなんて不幸なんだろう」「なぜ自分だけがこんなに辛い思いをしなければならないのか」などとマイナスな思考ばかりしていた。
しかし、そうではないのだ。
例え離れていても、パパには君たちがいるではないか。
なんと恵まれていることか。
そして、パパを支えてくれた、そしてこれからも支えてくれる人たちがいる。
「なんて幸せなんだろう」
とさえ、感じることができるではないか。
自分の状況をどのように感じるかは、自分の気持ちひとつなのだ。
そうであれば、プラスに思っていたほうがよいに決まっている。
過去の不幸やどうにもならないことがあるという現実は、動かしがたい事実である。
そのことから目を反らす必要はない。
真正面から受け止め、その事実から何かを学びとって、自分が成長する糧とするのだ。
高い授業料であったかどうかは自分次第だ。
その結果を今すぐ判断する必要もない。
周囲の人たちに幸せを振り撒くことができればよい。
これはずっとずっと続けていくことができるはずだ。
点で捉えるのではなく、線で捉えれば、深い谷は登山道の通過点にしかすぎない。
人より悲しい経験をした人は、きっと人より優しくなれるはずである。
本日のパパからのメッセージは、
「マイナスな結果をすぐに評価する必要はない!」
です。
そして、パパの「今日のよかった!」は
「思い切って頼みごとをしてみた」
です。
Why?
→ 遠慮の境界を超えることができたから。
※PC故障のため1月1日の記事を1月2日分の記事と併せて、1月2日にUPします。