その238 日常のルーチン作業では、ストレスを感じないよう保守的であろう!

先日の旅行で買ってきた野菜がたっぷりあるので、自ずと野菜三昧の食生活になります。

とうもろこしを茹でながら、そのうえでブロッコリーを蒸しました。

これは大成功。

一度に二品できるとともに、蒸すことによりブロッコリーの栄養の流出を防げます。

茹でるとすぐにやわらかくなるブロッコリーは、蒸すことにより、ある程度の硬さが残って、食感もグッドでした。

一方、「辛んば」という、しし唐のような唐辛子の扱いは、一勝一敗です。

サラダオイルに乾燥にんにくをいれ、辛んばを炒め、火が通ったところでトマトと卵をあわせて、さらに炒めた一品は、甘酸っぱいトマトと激辛の辛んばの相性がよく、まずまずでした。


しかし、調子にのって作った、万願寺とうがらしと辛んば、それにブロッコリーの茎の炒め物は明らかに失敗でした。

茹でるとすぐに柔らかくなるブロッコリーも、炒めるとなかなか柔らかくなりません。

一方、とうがらしは、皮が薄いので、すぐに柔らかくなり、ほぼ同時に炒め出したため、炒め終わったときに、方や固すぎ、方や柔らかすぎというように、バランスが悪くなりました。

そして、敗因の第一は、万願寺とうがらしと辛んばのコラボです。

炒め上がりに関しては、同時期で問題なかったのですが、見た目の同一感とは別に、辛さがあまりにも異なります。

見た目が同じ分、万願寺とうがらしと辛んばは、箸をつけるときに、「辛んばにあたったらどうしよう」という、負のドキドキ感があり、食事をしながらテンションが下がります。

食事という安心の場に、ギャンブル性は不要であるということを実感しました。

少なくとも視覚から、おおよその味を判断できるような状態にしておくことが重要な気がします。

食事は味覚だけでなく、視覚、臭覚、聴覚、触覚といった感性も重要なファクターです。

なので、視覚の情報が曖昧なまま脳に伝わると、その食べ物に対して素直に味わうという態勢が整わず、同じ味のはずなのに、ストレスのため感性が鈍ります。

人間は、何事に対しても予想をして、それが当たった時には喜びを感じるものです。

たかだか、食材の味ひとつをとっても、知らぬ間にこの予想ごっこを行っているようです。


食材に限らず、予想があたって嬉しいという、普段は意識もしない単純なサイクルが、安心感を生み、感性に余分なフィルターをかけないとすると、素直にそのサイクルに乗っかるようにすべきです。

なので、自らに主導権があるときには、予想が外れるような事態を回避すべく行動をとるということが基本になります。

逆に言うと、挑戦にはストレスがつきものなのです。

もちろん挑戦から逃げ切れるものではありませんし、むしろ積極的に関わっていくべきだとも思います。

しかし、これは気持ちを高めた上での話しであって、普段の些細な行動においては、素直に予想が当たる感覚の小さな喜びに浸っているほうが楽なのです。

些細なことでつまらないストレスを感じるのは、あまりにも勿体ないですし、ストレスから解放されることにより、余裕が生まれ、五感のアンテナの感度が良くなります。

普段の生活レベルにおいては、保守的でもよいのです。

余計なエネルギーは費やさずに、コツコツ小さい喜びを貯めていくことが望ましいと考えます。


本日のパパからメッセージは、

「日常のルーチン作業では、ストレスを感じないよう保守的であろう!」

です。


日常のルーチン作業も、計画どおりに終わったり、予想以上の成果が見られたりすると、小さな喜びが貯まっていきます。、

ひとつ、ひとつのことを丁寧にやっていけば、必ず成果が現れるし、慣れればスピードもあがっていきます。

ルーチーン作業では、いかに力を抜いて、淡々とこなしていく中で成果を感じ取ることができます。

成果はとても小さなものですが、ここは素直に喜びを感じましょう。

喜びに満ち溢れていれば、どんどん喜びが吸い寄せられてくると信じて。